中崎 透も、全力で振り逃げをして、かつあろうことか、一塁にではなく、三塁方向へ、 走った か、と見せかけて、ホーム ベースを踏んでいる。 という比喩が似合う人のような気もする。 緻密なコンセプトはムサビ特有だとは思うが、中崎との最初の出会いは、眼科画廊での展示を見る前に、 mixiで出会ってしまったのが、運の尽きだ。 人を食ったような表現は、じっさい、感覚野において、こちらは食われてしまうのだが、難しいことを言うと、 その表現媒体に接した時に生じる、神との交合にも近いだろう、共振とか、情動という感情を超えて、目の前にある、中崎の作品群は、ぼくの中にもあるという意識を生んで、夢のような状態から覚めていく。 新橋の画廊の屋上に、アンカー残しておきましたから、という発言を延々と覚えていられるのも、水戸でふたたび出会うまで、あまり彼との遭遇が、実際のところなかったからだと思う。 否、そういうと嘘になるかもしれない。 残された、というか、はずしそびれたアンカーは、それでけで詩的な情景を想起させ、すでに新橋の屋上にではなく、私の頭の右脳のはじあたりに、アンカーが埋め込まれている。 たまにそれが、ピカリと日の出の光を浴びて、輝くのだ。 屋上で中崎が残した、アンカーを全員で凝視したのち、「帯広デメテールでの蔡の作品を手伝う俺。=月を運ぶ」。という上映会をした。 「許可取ったの?」 何の許しを請えばいいのかわからないまま、蔡さんには、「たぶんなんかします」と。 教材的に使うことを、こちらは許してもらっているつもりだが、「世間」の反応ははなんだか、うやむやと、むにゃむにゃしていた。 実際の行為の流れは、私の記憶ではBANK ART NYKで終わったが、手元には、膨大な「感想をともにした表現の呼応の果ての音源」がある。 とはいっても、4分づつが120本ぐらいだから、聞き直しにさほど、苦労は無い。 自慢ついでに言えば、 芹沢さんは、「まぁ、大目に見て」と言ってくれて、 偶然ではなく、彼の仕事熱心さから来日していたダニュエル・ビュランは 「とても面白い」と語った。 中崎 透のことをきちんと書きたいのだが、彼のこれからの、自信を持って仕掛けてゆく、コミュニティづくりの差し障りになるだろうから、もうすこし、自分の中の「中島 透 熱」が冷めてから、書き出してゆこう。 と思っている。 美術家として、相当、優秀だと思う。 看板ということについても、考えてみよう。 それにしても、水戸の歓楽街の路上からの風景が、「中崎 透」化していたことに、唖然としてしてしまった。
by docore
| 2009-05-02 07:05
| 月を運ぶ
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