※エコシフト台東 企画展示
富永剛総 写真展 マキイ マサル ファインアーツ 2010年10月29日~11月9日 会期中無休 午前11時~午後7時 金曜日午後8時 最終日午後5時まで 11月9日 午後3時イルコモンズとの対話 「今日の芸術から宮下公園まで」 展示最終日には午後5時に会場が閉まるので、それまでの時間。 ドネーションシステム。(カンパ制) APEC期間中のイルコモンズの動きに注目せざるを得ない。 巷からの情報だと「おとなしくしていようかな」とのことだが、 考えてみれば、おとなしくしているイルコモンズの方がとても手強く怖い。 考えてみれば、何を怖がっていたのか? イルコモンズの手法にか? 彼によって見捨てられた擬似現代美術からの かるいしっぺ返しにか? ぼくらは何を恐れているのだろう? すべてを手にいれて、かつ共有してしまった 今こそ 恐れているのもを見つけ出すべき時かもしれない。 国家と寄付を考えてもいい。 http://ca-mp.blogspot.com/2010/11/naplus.html マキイ マサル ファインアーツの会場には、 床の上から起立した三本の葦がウサギを支えている。 三匹のうさぎは、公平に円環を握り支え、 円環には葦が渡されている。 その中心からは葦で支えられた 風鈴が傘袋の中へと吊り下げられている。 コインをそこへ 投げ入れるとき、 ひとたび いいおと は うまれる。 その程度のことが、「国家」であり、「寄付」である。 久しぶりにオブジェを構成したので、言葉で残してみた。 作品名は 「DO NATION」もしくは 三兎 --- 詳細 決定しだい、この記事を編集してゆきます --- 文化の日 イベント 「写真集の朗読」 朗読予定 写真集 「久保荘6号室」「ファンタジー・モード」「宮下公園」 午後 5時から 6時半ぐらいまで ※午後3時から 簡単なうち合わせあり。 朗読参加者、聴衆、観客、双方を募集中です。 なお、久保荘6号室、ファンタジー モードをお持ちの方は、ぜひご持参下さい。 ここ から とおく #
by docore
| 2010-11-05 17:00
| P
オスカール 大岩
西新井アトリエと題された一枚の版画を持っている。 1994年のプリントだ。 オスカールの西新井のアトリエの所在を、この版画を手に入れた10数年後の彼のMOTでの展示で知った。それまでは会田から伝え聞く、「何故、日本ではアーティストが六畳一間で制作を余儀なくされなくてはならないのか!?と怒るんだよね、彼、 彼は堂々とそういうことが言える・・・」というような話とか、本人からは、「僕のモラルは生まれた環境に影響を受けているかもしれない・・・」と神妙に語る彼の眼の奥が語るものを、うっすらと読み取る程度で、MOTでのビデオ授業のような映像も、あまり真剣に見る気がしなかったし、向島で手に入れた、この版画も、箱に入れてすいぶんと長い間、仕舞ったままで、どこの壁に飾る、というわけでもなかった。 「うまれたところから影響を受ける」 (・・・書きかけ ) その彼の新作がすでに、男木島での展示中に燃えてしまったという。 燃える絵画。 絵画は今回、灰になったのかもしれないが、それが絵画の終焉を意味するわけではなく、何か祝祭的な、もしくは儀式的なものを感じている。 鉄工所の壁にしつらえた、島の大事な記憶の風景と、海にたいする画家のイメージを床に投影、想像したものが、燃えてなくなる。 海が燃えて・・・ それらは、海底油田の発掘から絡まる昨今のアジア東部の諸問題を端的に想起させるには充分な事件であったか? 絵画が燃えて・・・ 全焼ということばから、すべて灰に帰したのだろうと思うけれど、どうも何か大岩のエッセンスがその現場に漂っているようで、それを感じに行くだけでも、瀬戸内国際の価値はあると思う。 そうでなければ、瀬戸内の島が連なり、雲がうまれ、渦を巻き続ける、風景を味わいにゆくだけで、別段、現代美術を経験しに、瀬戸内まで繰り出す必要など何も無いのだ。 #
by docore
| 2010-09-30 02:29
| 月を運ぶ
昨夜は藤井光のたくらみのうちのひとつ、「アワー ストライキ」のアクションを見学しに、アサヒのアートスクエアへ行った。
(その前に見学した、サラの展示と中落合ギャラリーについてもいつか書こうと思う) 約束の8時をすこし、いつものように遅刻して、例のビルに着くと、なんだかみんな、晴れやかにぐったりしている。 「どうも、参加者が・・・」と言い出す藤井の言葉を最後まで聞いて、なおかつ、どうにか誤解してやろうと思って、彼の指示のもと、テントを地下駐車場へ運び込む。 今、思い出すのは、通路の「止まれ」の路上表示を、彼岸線に見立てて、そこへ向かう気分を態度で表したのだと思うが、まず、サンダルを脱いで、ズボンを下ろし、這いつくばって、その後で、シャツを脱ぎ、アンチ エア ナイキのTシャッを脱ぎ、ほぼふんどし一丁になった格好で、這い蹲りから裏返り、また、裏返り、そして、彼岸線に立つ。 というようなこと。 インドネシア・ダンサーから「その手があったか?!」というような賛辞をもらったが、土方系の舞踏家の発言だったかもしれない。 地下に入る前から、数年前の仙台メディア・テイクの駐車場アクションを高須 建市とやったことを思い出していた。あの時は、たったふたりだったが、今回は1ダース近い人がいる。 そして、ストライキ。 そうとうな困難を伴なう。 痛みは特に無いけれど、左手首をすこし無理してひねったらしくてさっきまで「ぐびぐび」と痛みが走っていた。 今は、平気だから、こうして文字を打っている。 元気いいぞうの、テントの中に入って立ち上がり、歩き、アンダーワールド。という展開に、コミカルな可笑しさと、やがてホロリと来る哀愁を感じてしまった。 とても浅草らしいし、この晩に浮かんでいる、本当の満月にとてもよく似合うパフォーマンスだった。 イレギュラーの成田くんのアクションも相当よかった。 写真にとったけれど、ネガ モノクロなので、数ヶ月後にアップするかもしれない。 虚脱して、テントでストっていると、じゃましマンたちの「音楽」がうるさく聞こえたり、頼りになるサウンドに聞こえたりで、音楽というのはずるいなぁ。とも思った。 引き続き、アワーストライキのコメント募集は継続中。 アーティストのストも夢のように何処かで執り行なわれているのだろう・・・。 http://bit.ly/ah26nc #
by docore
| 2010-09-26 07:39
| 月を運ぶ
「アワーストライキ」のコメントは本家本元の藤井光のサイトで展開されています。
http://silentlinkage.com/archives/180 元我堂でのコメントの誘導中に感じたことは、やはり、このようなデリケートな問題を扱うときには、サイトを利用したほうが、賢明だろうと感じた。 ただ、いくつかの流れの中で、ぼくは都市部で見うけられる、シャッター商店街へのアーティストの態度を苦々しく感じているので、そのような流れの中にもある元我堂に対して、元我堂こそ、なにごとかにストライキしているのではないか?と感じていたのも事実だ。 そういう場に集まってくれた人にぼくは感謝しているし、他の集団を批判しつつも他と関わる準備のある人々に敬意を持っている。 最終日には瀬戸内国際の川俣組の若者たちが、来てくれたのも偶然とはいえ、嬉しい。 「アワーストライキ」の作品化へのインスピレーションになっているのだろう、アビニョンフェスティバルの2003年のストライキの頃には、まだ小さかったはずのアビニョン大学の女学生がふたり来てくれたのも嬉しい。 FACE BOOKでやりとりができた酒井やサブローが来堂したのかどうも定かではないが、今日、ネットでもつながっていられるのだから今後なんらかの手法で深く重層的に今回のことを展開できるかもしれない。 酒井にかんしては池袋の立教大学で68年についてのシンポジウムを渡辺眸の当時の写真を使って行なったときに、なんとなく、「不思議な人だ」と感じていたので、「アワーストライキ★元我堂」にFACE BOOK上で参加の意思を表明してくれたことに感謝している。 ぺぺ長谷川も酒井に会いたがっていた・・・。 池袋のちょっと感じのいい飲み屋で、すこし話したが、その展開は冤罪の方面へ向かいすぎて、あとから関東学院大学の院生が助け舟をだしてくれた。 「ぼくらも横浜事件を検証している最中です」と。 このイベント化がうまく行われたのかどうか?までは検証段階ではないが、何度も来堂してくれる人もいて、この芸術関係者のストライキについての関心の高さがうかがえる。 と、同時に、ぼくは「表現者ならば、こもることも大事だ。」と付け加えておきたい。 そして、ストライキ コメント中にカンパを寄せてくれたみなさんにも大きな感謝を致します。 ありがとうございました。 #
by docore
| 2010-09-22 01:23
| 月を運ぶ
阿佐ヶ谷 元我堂での「アワーストライキ」コメント・ワークショップ継続中。
元我堂では残り、二日。 18日と19日。 6時から10時という考えてみればタイトな時間制限の中、コメントは練られていっているような気もする。 誘導するようなものではないが、アビニョンフェスティバルのストからの着想だと思われるが、芸術家、芸術関係者のスト行為について深く言及し、検証するべきだと思う。 水戸芸が市の予算の1%で運営してゆく、と表明したとき、大きな期待を持った。 だからこそ、水戸芸はいつまでも高い理念のもと、飛び続けていられるのだと思う。 もちろん、それすらも幻影なのだが、人は幻影からでも「生きる糧」を得るものだ。 ロスアンジェルスの美術館でも「学芸員の給料をあげろ!」デモが、美しく美術館の前で行われたことは記憶に新しい。「予算がないので・・・・」とうなだれる前に、声をあげて、ネットワークと知恵を共有すればいいと思う。 そして、昨今のデモ行為や示威活動から、逆に美術館へ勤務し始める人も多い。 そして、かつて、寺院が美術館の役割をしていた日本では、今や美術館が宗教心を育む空間になった。 面白いのは、高知県は自然が美しいから美術館はいらない。というすこぶる高い理念があったのに、高知県立美術館できちゃったし。人はそれぞれの理由で疲れてゆくから、美術館にでも行くのだ。と思う。 俺は、そういうところでは、やりたくはないなぁ・・・。 袋小路に入ってゆくけど。 #
by docore
| 2010-09-18 09:42
| 月を運ぶ
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