English Here
<   2009年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧
SWOON
月を運ぶというカテゴリーには、人の作品について感じたことを書いている。
もちろん、自分のことをひとまず棚にあげて、だ。
三ノ輪から、思い立って、違う道を歩き出し、あらかじめ聞いていたのとは違う商店街を歩き、「砂場」で日本堤の方角を訪ねる。この「そばや」はかつて小川てつオ親子と入った「砂場」だ。店主が小さなスケッチ帖を見せてくれたことを思い出す。その時に、絵を描くのが趣味だと訴えた店主も考えてみれば10数年のときを経たのだ。ひらたくいうと、老けていた。
そう、BANKARTの代表者になってしまった池田や、昔、恵比寿で「P-HOUSE」を開いた秋田とかそれぞれ個別に三ノ輪の異常に安い五階建て空き物件を見に行ったのは、「あれは いつのことだったか・・・?」
五階建てで、25万円。この情報は小川の兄である恭平からもたらされたものだが、取り扱い不動産へ何度かたずねているうちに、20万円でいい、ということになった。我々が共同で借りるのをためらっているうちに、弁当屋さんが借りることになったことまでは覚えている。


日本堤と言っていいのか、山谷のドヤ街商店街といっていいのか、その何故か通るたびに、名古屋の大須あたりを思い出してしまう商店街の店の壁にSWOONが作品を残している。
作品を残す、という言い方もまずいので、「態度を表明している」と言い換えよう。

MOMAを通過して、なおもまだ、このような場所に作品を提示できることに、SWOONのバイタリティがある。噂にはちょこちょこ聞いていたが、きりえを貼り付ける手法が、山下陽光や、フランスのJR、そしてアーティストランのギャラリーを運営している高須健市らと「通底」している。IRAの人たちも、すでにこの手法はあみ出していた。

紙をのりで壁に貼る。

これは、声に出して読みたいフレーズだ。

さて、SWOONの日本堤での作品に対峙して、思ったことは、「閉鎖された酒屋のシャッターが奇跡的にも開いたならば、「作品」は下半分がびりびりと破れる。連想するのは、財産差し押さえの封印の仕方だが、SWOONが封印したものは、何だったのか?うつむき加減で歩くと、ごろごろと人が倒れこむように寝ている商店街で、その目線で作品に対すると、乾ききっていない糊が路上に滴り落ちている。等身大の紙。文様。すこし古い、節度をもった技法で仕立てられている。その絵柄の内容の方を読み取らなければならないのだろうけれど、その地として選ばれた壁面、そしてそれが立地している条件の方が、こちらの体にビンビンとシグナルを出してくる。」

なんとも言えないが、「見に行って 良かった」

声を大にして言いたいが、「うらやましいな。嫉妬している。」


SWOONの今回の日本での仕事は「国宝級」だと思う。文化遺産というか。
http://justseeds.org/
つとつとと気になる、オルグ。ジャスト・シード。日本で、これにあたる集団はどれだろう?
そうはいっても、写真(映像)と絵画(グラフティ)はどこかで対立してしまうものだが・・・。
[PR]
by docore | 2009-10-31 09:30 | 月を運ぶ
がおっ?
a0008164_941965.jpg

2011-2020の日記を書く。

365X日記について

そういえば、語呂あわせで申し訳ないが、2020年には「ニワニワ」という語呂をあてしまい、
庭といえば、皇居かな?
と考えて、「皇居スクワット」というのも計画し始めたのだが、最初から、千鳥気味で、
というのも、どうも、スクワットの対象に皇居はならない気がして、ならない気がするから、こそ、思いついたときには驚いたのだが、どうしましょう?

にわにはにわ うらにわにはにわ にわとりがいる

鶏を置いて誤魔化すかも。

それにしても、DIARYを三部作つくれる喜びが、大きい。
[PR]
by docore | 2009-10-28 09:53 | P
だらけて オリンピック
http://xijingmen.net/olympic/

ボイド・キッチンのブログを見ていて、「ずいぶん整理されているものだな。几帳面なのかな?」と思いながら、だらだらとリンクをたどっていったら、小沢剛の去年の仕事が出ていた。中国を飛び出さざるをえなかった芸術家たちが、北京オリンピックで呼び戻されて、悪態をつきながら「なんとか、へこませてやろう」という変な気概の作家生命のようなものを賭けて、あれこれしていたのが、すでに前世紀のような気がする。蔡国強やアイ・ウェイウェイとか。もっと詳細が知りたい気もするけれど、アタリそうなので、やめておく。

妙なタイミングで、蔡さんがP3を始めてたずねてきた頃のビデオを見る機会があって、「切羽詰った感」が滲む風貌に驚いたことを思い出す。当然といえばとうぜんだろうけれど、「帰ったら殺される」と言わしめる国が中国なのかもしれない。自分の中のすべての恐怖心を集結できる国として、中国がある気もするが、天安門事件を、きちんと歴史的事実として受け入れきれなかった自分に敗因はある。

今年、東京オリンピックを誘致するのに15150億円をかけたらしいが、その経済効果がすでに2000億あるから、いいのです。というようなことを、いけしゃあしゃあと言える人々がいて、そんなら、「貸しているもの返せよ!」と机を叩いてみても、はじまらないので、周辺に借りたままの「お金」をとぼとぼと返しています。
なんなんだろうな。「金」が判らん。

なんとなく、西京オリンピックのサイトを見ていて、こういうのは小沢 剛でなければ、嫌味が増すのだろうな。
と思いつつも、ドローイングが上手くなっている気がする。昔、NYへ行って、最後にはピストル自殺をしてしまった有名な画家の「弟子から、技法を学び取ってきた。」と有無を言わせず言いきった、彼なりの勢いというものにいつも、感じ入ってしまう。現代美術の細胞分裂したかのような流れを観察する気には、ぜんぜんなれなかったので、日本の作家の作品の値段とか、受け入れられ方とか、気にすることはないが、どうもいつも、違うところで、きちんとしたものが、産まれてきているようで、そういうものは無責任に楽しみにしている。

「疲れちゃった」
[PR]
by docore | 2009-10-20 03:24 | S
101010 (てんてんてん)または ・・・
まぁ、来年は、(20)10年 10月10日が熱いな。
これから準備して、一年をきったか・・・。

101010

目の日?
どこら辺の文化圏まで、伝わるのだろうか?
10月10日が「眼」の日だということを。

昨夜はフィルム現像をしながら、91枚の三年日記を(写真カット数は1095~6)
を24時間かかる上映時間にするには一ページにどのくらい照射時間を割りたてればいいかを
計算してみた。
そういうことを計算するのは、ずいぶんと無駄な時間なような気もするが、
さっき流れていたテレビで胎内にいる胎児の成長は一日で人類の進化150万年分を経る。
というようなことをCANONのスポンサー番組でやっていて、いろいろと計算を当てはめてゆく人も世の中にはいるのだなぁ。と感じ入るのは、秋だからか。

テン テン テンにしても、何をやるのか?だなぁ。
あまり誰とやるのか?は考えていない。
テンバイテン バイ テンというのも思いつくけれど・・・。


秋の路上音楽会。
10月12日 午後 4時 高円寺中央公園 集合。
なんだか、たいへんなこと。
俺の自転車返せ デモ
音に対して、いろいろと感覚が変わっていくと思う。
反省として、自転車を警官に投げつけるのは よくない。と。

それはそうとして、warp recordsの今回のイベントが気になりだして、そんなことを吐露する感じが、
植草甚一的なんだけど、晩年の彼の闘病の記録が生々しくて、かつぼけた感じでファンタジックなので、見習いたい。
今書きたいことを、すぐに忘れていくというのも、どうしたことか?!
[PR]
by docore | 2009-10-11 19:57 | P
点滅する音量
一日限りのイベントではないのは判っているが、タイム スケジュール上、なんとなく日々の出来事に落とし込まれそうなので、言葉を搾り出して、埋没してゆくことに抗う。(あらがう)
すでに半日は過ぎたが、今ようやくデーターを読み込み、そして画像を九十度傾けて、JPEGにする。
その画像の変化生成の過程が面白いのだが、そういう面白さはここからダウンロードして、サイズを変えてみたりすると追体験はできる。
音のほうは、映像隊が記録しいているようだが、やはり、その場の音圧を再現するのは難しいのではないか?

sekineの音を吸い込もうと出かけたのだが、その前の用事に足を引っ張られた。
すでに音だしを終わっている彼に挨拶をして、セッティングのままの機材から漏れて(時間的に漏れて)くる音を螺旋階段の昇降する足音と混ぜて、聞き入っている。
そのような音はないはずだが、志ん朝とラマ僧のライム バトルのような声明が聞こえてくるのは、俺の耳の中に鳥が巣を作っているからだ。

そして、伊藤篤宏。
駒場寮で転がっていた蛍光灯が、
a0008164_16225983.jpg

このようなカタチにて継続しいてることをとても頼もしく感じる。駒場寮の廃寮問題の頃、吸い寄せられるように集まっていた人々が、それそれのアリバイをポーカーで、( 書きかけ )

土曜日のナディフ

お。ビデオもあるのか。
http://www.ustream.tv/recorded/2236971

(書きかけ )
疲れながら、そして思い出しながら書くということが、数ヶ月前の供述調書と同じように、とても退屈で大変な作業であることが身に染み始めたが、次々と候補に挙がる文脈を整理してゆくのはブッシュを切り開いていくようで冒険心がわきあがる。
道に迷ったようなので、ひとたび最初の踏み出しに戻ってみる。
これは最近覚えた技である。

やはり、俺にはノイズという領域が判っていなくて、ある日、車に踏み潰されてひしゃげてスクラップになった携帯電話を拾ったsekineに会ったとき、「この音を出したい」と言われたことを忘れることができずにいて、それは携帯電話を修理してどうのこうの、というわけではなさそうで、オブジェとしてのスクラップ モバイル フォンの役に立たないナンバー キーを押したときに出る絶望が馬鹿笑いしているような状況をなんらかのエフェクトをとおして出してゆくものかな、と想像してみたけど、現在のsekineのセッティングから考えられることは、そのものが本来持っている電気信号を拾い出して音に変えていく、ということなのかもしれない。

a0008164_522984.jpg


いや、よく判っていないから、想像力は働きまくるのだが、すでにエフェクターやら、シールドやら、オーディオ機材には電流を通した時点で音楽は発生していて、最近のエフェクターの組み合わせならば、そこから楽曲的なものへと制御してゆくことは可能な気がする。
いや、ほんとによく判っていないのだけれど、アンプのノイズでライブを組み立てる男もいたし、でもそれらはある種の魔法のようなもので、音というものを、まるで消えそうな火を両手で風から守っていくというか、両手で汲みあげた水を一山向こうの娘の口元まで運ぶというか、なんかそんなデリケートな作業をしたのちに、ふと気がつくと音楽をしていた。とでも言えばいいのか、そんな大事な、それでいて、いつも忘れている感覚をsekineと伊東の仕事から受け取ることができる。


ブーンブーンと鳴る音を聞かせてくれて、
「オーストラリアの高圧線に当たる風の音です」
と嬉しそうに教えてくれた男も不思議な音楽をたくさん知っていたが、世の中には興味深い音楽使いがたくさんいるものだ、と関心する。
エスキモーの口づけで合奏する音楽とかも、実際、この口で聞いてみたいものだが、口というものが耳なみにほどではないにしても、音を感じないはずがない。
それは骨伝道の実験でも判っている事だとは思うが、「それように使っているわけではない器官で、それを感じる」ということを考えさせられる、ナディフでの出来事だった。

a0008164_0301190.jpg


ガラス窓へペインティングするオランダからの画家たち。
ふと「夜警」というレンブラントの作品と水森アドのことを同時に思い出してしまう。
水森のことは説明する必要もないだろうが、レンブラントの方は、入り口から入らない作品の大きさという想起の仕方をしたのだと思う。
[PR]
by docore | 2009-10-04 16:22 | E



ワンカップフォトス onecup photos 
by docore
カテゴリ
全体
月を運ぶ
ワークショップ
P
E
T
OCR
S
D
O
未分類
フォロー中のブログ
Report 藤浩志企画制作室
ウラゲツ☆ブログ
音楽家 高橋英明
ホームレス文化
イノレコモンズのふた。
  
art blog VOI...
cafe_mearium
NPO法人 BEPPU ...
Edición iman...
246表現者会議
ラディウム - レントゲ...
中崎透遊戯室/NAKAZ...
MAKII MASARU...
アート天国 「虎の巻」2...
路地と人
最新の記事
終夜
at 2014-01-17 02:53
大原大次郎
at 2013-07-28 03:28
芸公の壁
at 2013-01-25 06:25
TAT
at 2012-11-01 06:22
アフター ’(アウターもしく..
at 2012-03-21 01:23
R
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧