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芸公の壁
北大路 翼という不思議な俳人がいて、この一年半ぐらい、しょっちゅう顔を合わせている。
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すかっとろう というバンドもやっている。
この写真は、上の階で彼自身のバンドのお披露目的なUSTを放映しているのを、ぼんやりと
数学者や言語学者と眺めているときに、はたと思い立って撮影したものだ。

芸術公民館 (最近は跡地と言ったり、旧芸公と言ったりするが・・・)の、この壁は
ここのオーナーである会田誠が大判の白い紙を貼り、
「自由に描いてください なるべく文字ではなくて絵を」と控えめな指示を与えられた
美しい縦じまの銀色の壁だ。
その紙に書かれた壁画は現在、森美術館の「天才でごめんなさい」展の混沌の部屋で見ることができる。

混沌に目鼻をつけてしまうと混沌が死んでしまう。
という故事にのっとるまでもなく、ある種の人間以外は会田誠の仕事の全貌を、目鼻をつけるようには
語らないものだ。また、混沌という化け物というか神のようなものは、どの歴史的想像の図版を見ても
どこか愛らしく、こちらに余裕があればペットに飼いたいほどの奇妙さをそなえている。

銀色をあえてスクリーンにして投影することを試してはいるわけだが、
どうやら、銀色という反射性もさることながら、この壁の持つ縦じま性にいくらか心が動いているのだろう。

白いジャケットを着こんでいるのが、北大路で、その右上、丁度北大路が腕を伸ばしているあたりに
掛けられている絵は富山の若い女性が会田誠のプロフィール写真を愛をもって模写したものだ。
この写真では判らないだろうけれど、会田の眼の描きようなどは相当な神経を使っている。
その息をひそめた息遣いが、この絵を見ていると、北陸の方から冷気を伴った暖かさで、伝わってくるのだ。
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by docore | 2013-01-25 06:25 | E
点滅する音量
一日限りのイベントではないのは判っているが、タイム スケジュール上、なんとなく日々の出来事に落とし込まれそうなので、言葉を搾り出して、埋没してゆくことに抗う。(あらがう)
すでに半日は過ぎたが、今ようやくデーターを読み込み、そして画像を九十度傾けて、JPEGにする。
その画像の変化生成の過程が面白いのだが、そういう面白さはここからダウンロードして、サイズを変えてみたりすると追体験はできる。
音のほうは、映像隊が記録しいているようだが、やはり、その場の音圧を再現するのは難しいのではないか?

sekineの音を吸い込もうと出かけたのだが、その前の用事に足を引っ張られた。
すでに音だしを終わっている彼に挨拶をして、セッティングのままの機材から漏れて(時間的に漏れて)くる音を螺旋階段の昇降する足音と混ぜて、聞き入っている。
そのような音はないはずだが、志ん朝とラマ僧のライム バトルのような声明が聞こえてくるのは、俺の耳の中に鳥が巣を作っているからだ。

そして、伊藤篤宏。
駒場寮で転がっていた蛍光灯が、
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このようなカタチにて継続しいてることをとても頼もしく感じる。駒場寮の廃寮問題の頃、吸い寄せられるように集まっていた人々が、それそれのアリバイをポーカーで、( 書きかけ )

土曜日のナディフ

お。ビデオもあるのか。
http://www.ustream.tv/recorded/2236971

(書きかけ )
疲れながら、そして思い出しながら書くということが、数ヶ月前の供述調書と同じように、とても退屈で大変な作業であることが身に染み始めたが、次々と候補に挙がる文脈を整理してゆくのはブッシュを切り開いていくようで冒険心がわきあがる。
道に迷ったようなので、ひとたび最初の踏み出しに戻ってみる。
これは最近覚えた技である。

やはり、俺にはノイズという領域が判っていなくて、ある日、車に踏み潰されてひしゃげてスクラップになった携帯電話を拾ったsekineに会ったとき、「この音を出したい」と言われたことを忘れることができずにいて、それは携帯電話を修理してどうのこうの、というわけではなさそうで、オブジェとしてのスクラップ モバイル フォンの役に立たないナンバー キーを押したときに出る絶望が馬鹿笑いしているような状況をなんらかのエフェクトをとおして出してゆくものかな、と想像してみたけど、現在のsekineのセッティングから考えられることは、そのものが本来持っている電気信号を拾い出して音に変えていく、ということなのかもしれない。

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いや、よく判っていないから、想像力は働きまくるのだが、すでにエフェクターやら、シールドやら、オーディオ機材には電流を通した時点で音楽は発生していて、最近のエフェクターの組み合わせならば、そこから楽曲的なものへと制御してゆくことは可能な気がする。
いや、ほんとによく判っていないのだけれど、アンプのノイズでライブを組み立てる男もいたし、でもそれらはある種の魔法のようなもので、音というものを、まるで消えそうな火を両手で風から守っていくというか、両手で汲みあげた水を一山向こうの娘の口元まで運ぶというか、なんかそんなデリケートな作業をしたのちに、ふと気がつくと音楽をしていた。とでも言えばいいのか、そんな大事な、それでいて、いつも忘れている感覚をsekineと伊東の仕事から受け取ることができる。


ブーンブーンと鳴る音を聞かせてくれて、
「オーストラリアの高圧線に当たる風の音です」
と嬉しそうに教えてくれた男も不思議な音楽をたくさん知っていたが、世の中には興味深い音楽使いがたくさんいるものだ、と関心する。
エスキモーの口づけで合奏する音楽とかも、実際、この口で聞いてみたいものだが、口というものが耳なみにほどではないにしても、音を感じないはずがない。
それは骨伝道の実験でも判っている事だとは思うが、「それように使っているわけではない器官で、それを感じる」ということを考えさせられる、ナディフでの出来事だった。

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ガラス窓へペインティングするオランダからの画家たち。
ふと「夜警」というレンブラントの作品と水森アドのことを同時に思い出してしまう。
水森のことは説明する必要もないだろうが、レンブラントの方は、入り口から入らない作品の大きさという想起の仕方をしたのだと思う。
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by docore | 2009-10-04 16:22 | E
実験 工房 そして
11月16日に渋谷のワンダーサイトで行われた、ラウンド・テーブル2に参加した。
湯浅譲二の「生声」を聞くことが主たる目的だったが、かねてから胡散臭いと思っていた空間の必要性をひしひし と感じることのできた、一晩だった。

ライブ・湯浅さんから感じることができたことは、その先見性と、実験性、そして、戦争体験者としての、号令に対する心底からの反発。
「ボイス・カミング」を会場の全員と聞く前に、必要な現在性を帯びた湯浅氏の説明。
これほど、刺激に満ちた説明を私は、今まで、聞いたことがないが、まったく淀みの無い、透明性に満ち満ちた「彫刻としての声」として、自分の作品と時代、そして、表現や人間、社会に対するコメントが、まるで、新しい音楽のように、静かに「もうひとつの時間」を生み出すように、流れていった。

これには、恐れ入った。


「ボイス・カミング」が会場のスピーカーから流れ始めると、
彼の小指は天使の小さな踊りのように、くるくると回り始めた。

(このことについては、時間を足し続けて、書き連ねてゆきたい・・・)
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by docore | 2008-11-18 06:01 | E
プラカー !
http://leplacard.jp/
一度は経験してみたいと思っていた「プラカー」がやってくる。
かなり、知り合いが多い場所での連携プレーになりそうなので、
今から、恥ずかしくなったり、期待値が大きく上がってきたり。
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10月26日
東京 アナキスト ブックフェア内での催しものです。
期待値 大。

http://leplacard.jp/
ネットコネクションでぐるぐると、とぐろも巻かれそうですが、
まだ、エントリー受付中らしいです。
http://leplacard.jp/

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プラカーサイトの赤ちゃん画像のタイトルがbigbabyだったので、
返答はこの写真で。

30分の持ち枠の中で、イヤホーン出口に何をやるのか?
コネクションとは何か?
などなどを考えながら、ひとたび、全部忘れて、
生まれてくる音の塊をつかまえてみたり、つかみそこねたり。
というふうになればいいなぁ。
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by docore | 2008-10-10 17:58 | E
ICC
ICCで
写真を撮らないでください。
と声をかけられて、謝ったのだが、
「入り口にはフラッシュなしなら撮影してもよい。とのようなことが書かれてたのに。」
と質問したら、それは作品のタイトルのようなもので、
との答え。

さっきまでいた新宿BERGでも、一枚、撮りたくなったのだが、
尻にあるカメラになかなか手が伸びず、撮りたいのか撮りたくないのかわからない
対象を ただ 凝視していた。
態度ととしては、どちらも 犯罪的な違和感を周囲に醸しているのだろうけれど、
手が伸びないときは、伸びない。

その代わり、街に出て 写真を 撮る。

bergからiccへ出るまでに、ozonに寄ったのだが、時間が早すぎて、面会できず。
面倒なので、アポのキャンセルを伝えて、笹塚へ。
向う途中に、iccへ立ち寄る。
iccに立ち寄る時間があるなば、ozonのほうの用事を済ませればいいのに、
なかなかそういう行動がなされないのは、太陽がゆっくりとはいえ西へと動くからだ。

iccの無響室は設立当初、三上晴子がやったはずだが、彼女の体内音を無響室で響かせる 
というコンセプトが魅力的なわりには、考えてみれば、耳鳴りからの音から作曲をはじめるのと
似ているような気もする。
男女の差というのもあるのだろう。

さて、すごく美しい会場管理の女性から
さきほどのように
「ここでは 撮影は ご遠慮ください・・・」

と言われたことの 意味を深く 考えても しかたがないので、
恵比寿での三上晴子 の廃墟の展示を写した三枚の写真を 探す かどうか を 考えてみたり、
どうでも よかったり

まぁ、どうでも よい ということは ないだろうけれど、
ヘルニアになるほどの創作意欲に溢れていた 頃の 力仕事。というのも大きく実感する。
誰かは撮っているだろう。

このフレーズは最近聞いた IRAのKの印象深い発言だが、まぁ、そういうことだ。
誰かは 撮っている。

この世のあらゆる地点が ほぼ 犯行現場であると同等程度には
この世のあらゆる地点は 撮影済み である。

だが、しかし、最近、ぼくが写している この足元からの先の眺めは
いまだかつて 見たことも無いような 錯覚を呼び起こさせる。
だから 手元において あるのだ。

この写真は
サーバーがある種の受け皿、または ゴミ箱である。という常識的な意見にもとづいて、
掲載しておく。
各種関係者で、この写真を載せられては まずい と思う人が居たら、
削除しといてください。
パスワードは今のところgosoagogoです。

眼差しの自由を奪われることについて 大きく 考えていきたい。

こんな写真も自由に撮れない 世の中なんて・・・。 いとおしい。

iccの展示は すこし がっかりして なんでがっかりするんだろう?
と考えながら、甲州街道を西へ。
光がとても綺麗で 恍惚とまではいかないけれど、いい感じのまま
笹塚の倉庫で 丸テーブルについて 考える。

電話について 非常に 懐疑的なので 、こんな 文章になってしまうのだろう。
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見るものが作られる場所。ということでは優秀な作品だったかもしれないけれど、
これに使われている技術はもう随分昔に開発されているし、人間の耳の大きさ
というか周波数を察知する領域の広さにあわないスピーカーの大きさだったことが
とても残念に思う。
耳鳴りのない状態であっても、この対になっているスピーカーのどのポイントでも
完全な無音にすることは無理だと思われるほどの 雑な設定だった。

ぼんやりと 寝ぞべっていられた 三上の時代の方が頼もしい。

オープン スペースの裏手で若者たちが汗をかいてなにやら仕込んでいるのが、妙に
艶かしくて頼もしかった。

エノアールに寄って 帰る。

随分と雑な文章なのは、今日がとても 良い 一日だったからだ。
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by docore | 2008-07-02 01:55 | E
FILASTINE

こんなことをやっているFilastineが来日。そして。。。


5・15 日曜日 代々木公園並木道 午後二時から。(行ってみたけど姿が見えず。渋谷でタバコすってたら、澤田純にばったり会った。と、当たり前だ、私、5月と4月を間違えてました。
5・16クラブ宙   月曜日    午後六時から。 
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by docore | 2005-04-14 00:06 | E



ワンカップフォトス onecup photos 
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