English Here
カテゴリ:月を運ぶ( 68 )
REMO---ROJI---CUT MEdia to MeDIA 's DNA
いや、わけのわからんことを書き始めそうで怖い。
定員10名だというので、あまりお知らせをしてはいけないのだと思うが、躊躇しつつ・・・。
路地と人で10名が作業するとなると、神保町も交通整理が凄いことになりそうだけれど、
REMOのワークショップを一度も受けたことがないので、俺は行く。
8月27日 (金)
そんなことだから、俺の生徒も時間のゆする限り、参加すること。

a0008164_531957.jpg

前もって、
【申し込み】氏名・連絡先(e-mail/電話)を明記の上rojitohito(at)gmail.com (at)を@に変えて送信してください


「路地と人」、「あかね」、「素人の乱」は先日の上智大学での学会報告でも発語され話題になっている。
特に、ユースカルチャーとことわることも必要はないのだが、極めて政治的に位置されるであろう、「場」である。

もっと?
[PR]
by docore | 2010-08-18 05:04 | 月を運ぶ
しはんせいき 近代美術館でのこと
天井からレーザー水準器が床に照射されている。
たくさんのレーザーの発射点は直線上に並んでいる。

赤いレーザーの光は床の上で平行線を作る。

矩形の赤い縞。
結界を結ぶように創られたテリトリーは
ダムタイプが立ち上がった時の、ある空間のサイズを思い出させた。

縮こまった25メートル・プールのような。

どこにでも納めることのできる、空間を実験しているような、初期のダムタイプの空間把握は
古橋悌二の欲望にあわせたサイズだったのか?

今日、近代美術館のある一部屋で、そのサイズが浮かび上がり、思い出した。
古橋が死んだ後に、ジョニー・ウォーカーに頼まれて、追悼の展示を三田村と組み合わせたことを、帰宅後思い出した。
思い出した。
あの時、いろいろと複雑なことを仕掛けたが、蝋燭の灯をコンクリート壁にしつらえ、ぽたぽたと蝋が垂れるままにしたことを。
思い出した。
赤い蝋燭。

もちろん、日本の現代美術の唯一のスーパースターがエイズで死亡したことは、今となって気づいたが、極めて詩的な事件だった。

四半世紀たって、市販性器と誤記してもだれも気づきはしない。
そういう時間の邂逅を得て、ビデオカメラを操作するドラマツルギストの横で、開演時間に遅れてきてしまった俺は、しつらえた暗闇に眼をならす間、椅子に座りながら、気持だけは起立していた。
山中 透がダムタイプだったことを俺は知らないが、リズムを作らない音楽にのめっているのも良かったし、それは不可能だとは思うが、のめっていることじたいに文句を言える人は誰もいない。
そういうことの連鎖系を組み込んでいくことが、ダムタイプのあの頃の時点での役割だった。

ダムタイプ。
そういう命名とあの頃の古橋の態度にすべてははじめから刻まれている。
[PR]
by docore | 2010-08-01 01:34 | 月を運ぶ
二重
吉増剛造と森山大道

「縦も横も なくなる」
二人のそれぞれの映像作品の上映を挟んだ対談は森山の、この台詞で結ばれた。

40年ほど前。岡田隆彦の自宅が「三田詩人」と「プロボーグ」の同人の溜まり場になっていた。高級官僚の息子である岡田を、機械音痴だからカメラもいじれない。と吉増は野次る。ぼくの頭のなかで三田からの眺めの東京タワーが夕日を浴びて建つ姿が思い浮かぶ。
当時の空気までは憶えていないという森山は、それでも皆が集った家の景色は憶えているという。
吉増は当時のことを回想して、PROVOKEに入れてもらいたかったんだけれど、入れてもらえなかった。荒木経惟もそうだった。と悔しがる。
吉増は森山の写真行為を指し、プロボーク以降、作品を提出しつづけてきたのは森山だけだ。と断言する。対話中に聴衆へ向かって森山の発行された写真集を高く掲げて絶賛する姿勢は何か迫りくるものがあった。政治や文化、芸術などを越えた世界を渡り歩いてきた、そして季節によっては蟄居するように密かに篭もることもあった二人の作品を介在させた行為は「まだ、壊すつもりがある」というメッセージも込められていたように感じる。
サンパウロという剥き出しの都市を主題において対話をしたいと吉増は言う。
自閉症の吉増はサンパウロ大学にいた間、滅多なことでは外出をせず、どこかへ行くにしても運転手つきの車で出かけて行った。
まだ、ゴミ収集は馬車を使っていたサンパウロの街の雰囲気が霞の向こうからたち立ち上がってくる。
ストリートチルドレンがいる景色。路上生活者がご飯を炊くための焚き火。そして娼婦の立ち姿。
それらを吉増は見たが、言葉にできない感情は写真に置き換えることも難しく、なぜ森山のように、柔かい眼を都市の中にぶん投げることができないのか?と苦悶する。

写真のことに近づきつつ、そして意識的に離れていく。
言葉を扱う、特に詩人の存在領域に大きな神性を見出している吉増は、あらためて、捨てられているものの美しさを問いかける。

流してゆく。
流す。
という言葉をあらたに掘り起こした。

そして、写真を撮る姿勢は、体を傾げ、何か変形した、祈りの姿勢に近い。
次にやってくるものを捉えようとする。と、身体性に話が移ったとき、
吉増の口から発せられた言語は僕の中で何かとり憑いていたものを溶解させ、僕自身も静かな気持ちになれた。


40年ほど前。
また、その季節だ。
ぼくは7つ。
もう、ひとりでも、どこへでも出かけられる年だ。
[PR]
by docore | 2010-07-25 20:05 | 月を運ぶ
マタンブシ
宮下公園でぼんやりしていたら、全盲のサトルくんがやってきて、アイヌ民族の話をしてくれた。
以前から、アイヌの文様が気になっていて、デザイン的に格好いいなぁ。と思っていたので、彼の話に耳を傾けていた。
a0008164_15432153.jpg


サトルが新宿の模索舎で、この「マタンブシ」(アイヌ文様が刺繍された鉢巻)を販売したいというので、納品を手伝った。
ひとマタンブシ、3千円ぐらいだろうか?ぼくも一本買った。

視界を奪われた男と同行する「いつもの道」は、また、ひと味違う風景となって立ち現れてきた。

5月の風は物腰柔らかく吹いてくる。

このマタンブシの販売利益は夏に行われるアイヌのお祭りの賛同資金となるそうです。
[PR]
by docore | 2010-05-30 15:48 | 月を運ぶ
ふたつの 壁面
a0008164_14553589.jpg

宮下公園で考えたことをここに書いてゆきます。

a0008164_14575684.jpg

[PR]
by docore | 2010-05-30 14:58 | 月を運ぶ
星 
21世紀に入ってからの一番素敵な傘が、津村耕佑の「星空傘」だ。
a0008164_122696.jpg

とかく、日本は雨リカの(わざと誤字ってます)核の傘下であることを隠しきれずに、
今日まで、50年くらい過ごしてきた。

その日本の進化の果てにある技術が、「LED」の明かりである。

見せつけられたものを、そこらへんにある言葉に置き換えてゆくだけで、
津村耕佑の仕事は、詩的に美しく響く。

六本木のアート祭りで、(すべてを見ているわけではないが)、津村耕佑が、一番興味を引いた。
その他の作家の仕事は、まず、祭りという形式に負けているように思われた。

日本なんだから、敗北の美学を延々と語り続けるべきなんだろうとは思うけれど。

a0008164_1243962.jpg

[PR]
by docore | 2010-03-29 12:02 | 月を運ぶ
いま いるところ
今井紀彰の展示を見に、環八と246の交差点へ向かった。
額縁屋をめざして、用賀から南下する。
すると、歩道橋がなまめかしくかかっている交差点の向こうに、今井のさきほどまでは横浜にあった作品が壁にかかっていた。
a0008164_6395762.jpg


スカイプを最近はあまり使わないが、JONGが「konnichiwa」というので、東美舎で展覧会があることを伝えた。
今井とジョンを会わせたかった気持もある。
a0008164_64532100.jpg

サイコ・ジオグラフィーに関心があるというジョンとポリティカル・ジォグラフィーに興味がある今井と、仲良くなれると思った。

そして、9001では武井さんがオープニング・パフォーマンスをしたらしい。
桜の形に穴をあけて・・・
a0008164_6444495.jpg

[PR]
by docore | 2010-03-08 06:45 | 月を運ぶ
・・・
a0008164_62895.jpg
高山 明。  「赤い靴 クロニクル」。横浜、急な坂スタジオへ急にはいけない、とへばっていたが、数年来足を向けるつもりもなかった黄金町へはじめて行った。特に感慨深いものは無いが、かつては赤線地帯であった場所へ足を向けるのは、なんらかの艶っぽい話があったからだと思う。

a0008164_6282952.jpg


a0008164_6284883.jpg


川俣と高山のトークを聞いたあと、野毛の台湾料理店へお邪魔して、川俣さんの帰り際に自分の進退伺のような質問をしたところ、つまり、シドニー・ビエンナーレに介入しようと思う。ということを伝えたところ、
「それは、やるべきでしょう」との勢いのある答えが返ってきた。

川俣さんに会って、本当に良かった。と思う。
[PR]
by docore | 2010-03-08 06:37 | 月を運ぶ
3331

a0008164_9471757.jpg


川俣 正 × 吉見 俊哉
現在リノベーションが進行している千代田区の練成中学校で、「東京」を考えるトーク・シリーズがある。
広報は3331にまかせるとして、感じたことを書いてゆきたい。

モダン文化の崩れ方は、我々の生活態度や方法によって愛らしくもむごたらしくも見えてくる。
その

変化の過程が、人の脳みそが充分に記憶して血肉にできるに足るほどの充分な時間が無いのが現状だろう。
対談の後半、パリとメキシコシティのスクワットを語り始めたときの二人の文化との距離のとり方が、知識人らしくものごとを比較するときの基準の取り方が、逆照射的に日本を、そして東京を考える、とても良いヒントになりえる。

川俣の" プロジェクトを成功させるためには「まぁ、ひとに嫌われないことだね」 "という発言に、一同、笑う。
ということは、一同、相当な魂胆を今後ももっているということか・・・。

川俣 作品を、皇居で行うには?という切り口が面白かった。
表現者ならだれでもそうだとは思うが、あの空間を見過ごすわけにはいかない。
皇居、そしてそれを取り巻く地理的な関係がもつ力を超える作品に出会うことを夢見て、今後とも生きてゆくハメになる。

対話的教示というものと、モダン建築の陽の差し方に感心しながら、パイプ椅子に座っていた。

「プライベートとパブリック」の境目の話が、やはり今後とも尽きない。

































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































そして、椅子をたつ、そのきっかけは何なのか?

子供が生まれて自分のコピーができてくると、個人的なことと社会的なことの境界が変化して行く。
[PR]
by docore | 2010-03-04 10:24 | 月を運ぶ
ラバンテリアで魂の洗濯・・・
a0008164_932782.jpg

美術家、藤井光のトークがどのような効果を及ぼすのかが知りたかった。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/412

言葉じたいが多重な意味を持つ中で、それぞれの立場から発せられる言葉が空間を刻み始める。
すでに映像を自分の武器にしてしまった藤井にとっては、自分の身体を新しい状況に置くことを求めているのかもしれない。

社会経済の不況をひとつの言い訳にできるほど、ぼくは人生の経験を積んではいないが、その瞬間に発せられ紡がれ、こんがらがり、そしてほぐれていく対話の流れに、この社会の大きな豊かさを感じた。
そのうねりを書き起こす時間的余裕がないのが、ひとつの「貧困」である。

a0008164_9223927.jpg

二年前に会った時とあまり変わらない遠藤水城が岐阜に家を手に入れた。
米を作るそうだ。
ぼくは彼のことをあまり知らない。

「もうやめたいんです」という彼の口調が、新しいモノを作る人に必要な要件を備えているように思えた。
そういう逆説的な感覚はいまだに有効で、そのような人がいなければ、何も変わっていかない。
アイロニカルであればそれでいいということではなくて、アイロニカルもしくはレイジーな感覚も必要だということだ。

あとは、「何を次にもってくるか?」だ。
[PR]
by docore | 2010-02-27 09:36 | 月を運ぶ



ワンカップフォトス onecup photos 
by docore
カテゴリ
全体
月を運ぶ
ワークショップ
P
E
T
OCR
S
D
O
未分類
フォロー中のブログ
Report 藤浩志企画制作室
ウラゲツ☆ブログ
音楽家 高橋英明
ホームレス文化
イノレコモンズのふた。
  
art blog VOI...
cafe_mearium
NPO法人 BEPPU ...
Edición iman...
246表現者会議
ラディウム - レントゲ...
中崎透遊戯室/NAKAZ...
MAKII MASARU...
アート天国 「虎の巻」2...
路地と人
最新の記事
終夜
at 2014-01-17 02:53
大原大次郎
at 2013-07-28 03:28
芸公の壁
at 2013-01-25 06:25
TAT
at 2012-11-01 06:22
アフター ’(アウターもしく..
at 2012-03-21 01:23
R
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧