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魯迅 読書の五月
竹内 好 訳の魯迅作品集 3 を読んでて、思い当たるふしがいくつかあった。
彼の同時代の作家への読書の欲というか、読む癖のようなものは、途中から手に入れたブツを逆に見てゆくというのだ。
---どう書くか  P162 (筑摩書房 版)

いつもの悪いくせで、三十二号から逆に見てゆくと、やがて巻頭の「日記文学」があらわれた。

1927年9月の文章である。
もっとも、魯迅は、日付の記載をたびたび間違える人だというから、厳密にいうことは私にはできないが、
そして、竹内 訳がどの時代のものなのか正確には判らないつもりでいるが、どうやら、訳の方は1955年あたりだという。いや1966年か。

夜記 という二編しか書かなかった、つっこんでいうと、書く必要がなかった文塊のすべりだしは、水を打つように心に染みてくる。---何を書くかは、一つの問題である。どう書くかも、また一つの問題である。

魯迅には申し訳ないが、
いつもの悪い癖で逆に見てゆくと、「日記文学」があらわれた。
と、文を切って、向かってくる「現実」を少し、待つことにしよう。

ウェブ上の目を離せない「日記」など、ほとんどないが、ブログの効力も、手放したまま、逆に見てゆくことで、現れてくる「文学」というものも、あるのだろうなぁ。

と火照った体で感心しいている。

何故、ホテルのかは、内緒だ。
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by docore | 2009-05-20 01:15 | D
五時に 虹を
虹の魅力的な説明は民俗学者にまかせるとして、
虹をみたことについて、すこし、記す。

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いくつもの虹についての伝承があることを知っているが、
古来、虹がたつ、その元に、市が建つ。
という言い伝えが、今のところ一番好きだ。

虹の出所は、立ち位置からすると、川口というよりも、やや蕨より、だが光学的には、もう少し歩けば、
もろ川口から、虹が立ち上がっている景色になる。
光学的というよりも、視覚的と言い淀んでおこう。

この写真は「川口百景」への、贈り物である。

ということで、ぼくはまだ、参加できるかどうかわからないけれど、
5月10日の日曜日、川口百景の撮影会があります。
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5月10日(日)午後1時
集合場所:埼玉高速鉄道「戸塚安行」駅改札口
撮影会内容:元郷~領家付近を2時間ほど撮影
※埼玉高速鉄道:東京メトロ南北線から直通(ちなみに四谷からは40分)
参加費:無料
定員:15名程度

撮影は13時~15時ころまで
※雨天の場合は延期(日程は未定)
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デジタルの凄さと、つたなさを感じつつ、川口という、かつて鉄の街で栄え、そして、もちろん今でも高度な鋳物技術を伝承している「街」をそれぞれの歩幅で撮り歩くのも、とても魅力的な行為である。
デジタルかフィルムか。
まだまだ、迷うところである。
もちろん、「鉄」の街である以前の川口にも興味がある。
興味がある。なんて言葉を久しぶりに使った。と同時に、
「今日 身軽」ともなって、馬鹿馬鹿しい。

故人の言葉について思い巡らしているうちに、どうしようもない焦燥感にかられはじめた。
今では有名になってしまった女性写真家の弟から「どんどん、遅れていくよ。」と訴えられたことを思い出す。
その時は、「何を 馬鹿な」と感じていたけれど、流行というものをひとたびはずして考えてゆくと、とても重要なことが浮かび上がってくる。

さて、昨今の人々は何をそんなに焦っておるのだ?
と考え始めると、自分も、もうどうしようもない焦りを焦点に絞って動きはじめていることが、わかるのだが、その焦点が移動するから、「現代」というものはたちが悪い。

どんどん遅れてゆく。という、どんどんさ加減がすごく格好良くて、まだ、はまっている。
その感覚に。
どんどん進んでゆく。というのは、簡単に理解できるが、この、「どんどん遅れてゆく」という感覚は、男子思春期に特有な感覚かもしれない。
夕刻、夜の帳がおりる、ほんの少し前。何も用意をせずに、貴賓を迎えるのにも近いか?
それとも、やはり、一日の事柄をすべて終え、あさってには用事があるのだが、明日には何も無いことに近いのか。幸いなことに、南側にも窓があり、そこに射す昼の終わりの太陽の光は、充分、思春期の頃のことを思い出すのに必要なだけの光量がある。


思い出したからといって、それらは今の自分には足かせのようなものなのだが。
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by docore | 2009-05-08 20:27 | D
追悼 平木 収
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写真関係者には、もうすでに、収まりがついていることがらだろうけれど、
平木 収さんがお亡くなりになられた事実をぼくは情報の上でしか知らない。
ただ、その情報を、いつも真に受けて生きているので、横浜ZAIMでの展示期間中は
自分の個人的な喪に服している期間にかぶさって、複雑な思いで、横浜へむかわなければならなかった。

ただ、大事なことは、そのようなことは観客には特に必要なことではない。ということだ。

ぼくができたことといったら、
彼の生前の要望通り、「等倍じゃなくて、ぼくは120パーセントぐらいが、ちょうどいいな」
という言葉に呼応できたくらいか。
やろうと思えば、いくらでもできるけれど、やらずにいて、その意味を考えていくのも、
ひとつの方法だ。
何をどうするわけでもないし、晩年、早稲田の方で写真のアドバイスをしていたらしく、BANK ARTで行われた卒業展示が、最後の仕事だったのかもしれない。
事実がどこにあっても、ぼくはかまわないのだが、計算されて展示されている、写真の流れを眺めながら、
あぁ。この飾られている写真という物体は、平木さんからのひとつのメッセージだ。
作家の方々には申し訳ないが、その様に見える展示というのもあるのだ。
それが、写真というか、作品展の不思議なところだ。
会場全体から、平木さんのつぶやきのようなものが聞こえてくる。


と思い至り、なるべく一人ひとりに、感想を短く書くことで、平木さんへの感謝の気持ちのようなものを搾り出したかった。一枚の紙はその言葉の群れには、いくら短くしたところで、面が小さすぎる。

120%といわず、120000%でも、ぼくはかまわないのですが、
どうですか?平木さん。

思い出してゆくと、ある日、渋谷の歩道橋の階段から転げ落ちた後、数日後、平木さんに偶然会う機会があって、「階段から落ちました」と彼に伝えると、
「ぼくなんかしょちゅうだよ」
と軽妙な語り口で、話題を突き放してくれたり。とても頼もしいところもあった。

ルイスボルツの来日の時に、ひと月ほど、どちらがお世話したのか判らないけれど、関係をもって、
いくつかのことを確認したり、反古にしたりした。
まぁ、人は時代とともに考えも変わってゆくものであるから、
いつまでたっても、「あれは なんだったのか?」
という思いはぬぐえないが、そういうことであるから、生きていかざるを得ないのだと思う。



眠れない夜が続くので、この季節、追悼文週間にしようと思う。

ZAIM壁面の写真撮影=舞さんです。
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by docore | 2009-04-22 10:27 | D
Nu+Man
写真展示の可能性ワークショップの問い合わせが春のせいか、多くなっているのですが、多忙ともいえないこちらの都合で、
すこし先送りしています。(先延ばしともいう)

さて、新宿IRAで、香港のことを伝えに行きがてら、ぬう。
「ぬう」という音は非常に魅力的で、それが歌われることが少ないようだが、声に出して気分が良くなる
音かもしれない。し、何かたまってくるような音かもしれない。
「ぬぬぬ」と。

「意図する糸」から派生して、縫うことに愛着を持ち始めているのだが、糸の次は当然、編になってゆくのは
「目」に見えている。
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by docore | 2009-04-18 15:51 | D
おととい ほんをよむ
二日過ぎるのが待ち遠しかった。

22日のフラッシュ・モブに「朗読者」として参加して、やはり写真を撮らなくては駄目だ。
ということになった。
薄ら曇りの鈍い鉛の反射のような光の中で、個々人が本を読み広げる一時間なのだが、
新宿東口は「もうひとつの司法系」と誤変換されてもいいように、平面的には決められた約束事を再び破る面白さが滲んでいた。

「なにをしたいのだろう・おれ」という含みをもちながらも、武、オダ、藤井の姿を見つけたとき、
ふっ、とやすらぐ表現者としての安心感があった。
そんなものを感じているから、俺は駄目なんだと思うが、面白かったのだ。
ウサギに角が生えたまま、20分の遅れを取り戻すため、二つのルールを反芻しながら、
「料理沖縄物語」を音読。

たまに吹く風とか、歌舞伎町へ抜ける人々の後姿とか、
悪くは無いな、と思わせる感じが、新しい感覚として手に入った。
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20年前のメモ帳に描かれた夢の記述を風景として再現したが、まぁ、言葉を付け足すならば、
本棚を背負う男と、もだえ続ける女が足りなかったかな。
だいだいのところ、風景としては、22日の11時45分ごろが、その現場だった。
だがしかし、
俺の夢がそこに現れたからといって、別段たいしたことではないので、本を閉じて、渋谷へ向かう。

藤井光の映像に残された痕跡から読み取れるものを、長い時間をかけて待つ。
武盾一郎の映像記録も良かったけれど、なんか「手のひら感覚」過ぎる気もした。
が、
まぁ、次のことがあるから。

ちょうど、ぐゎ、と見開くように、カメラを構えてゆく。ということを考えはじめたので、
とてもいい体験になった。
誌面を作るつもりで、撮影に挑むのも、興味深い。
余白なし。
で。

エディマンが、PAPの「マイブック」を8000円で買うよ。
と言ってくれたのが、とても嬉しい。とりあえず、5500円。
模索舎で。
エディションについて、考え始めるが、とたんに疲れる。ナンバリングとか。疲れる。
鉛筆で手書きか。
とても疲れるが、楽しい。
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by docore | 2009-03-24 09:32 | D
平和とポルノ
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斧よー故。これはいかん。ono yokoの「平和の鐘」を撞くでもなし、撫でただけの私は、因島へと次の日向かい、ポルノ関連の撮影を宝島社というか、編集T口のために、うなりながら撮り行った。
撮影中も、イスラエル、ガザ地区へ対する攻撃への想像力の中での爆音と土ぼこりにまみれ、どのように呼吸を続ければ、穏やかな平和がおとずれるのだろうか、と悶悦していた。

そう、ただ悶悦しているのである。
そして唸り続けているのである。

まぶたの先から耳元へ機械的なシャッター音がなり続け、
一点、「アポロ11号は月へ行ったと いうのに」
が活字として残像に残る。

部屋に残した、大江の「核時代の想像力」という回りくどくも思考をへめぐらせることができる、貴重な本の一ページづつ、茶けていくさまを、本棚ごと思い出し、そして、想像力の中で、部屋の果物柄のカーテンを開けて、外の光を取り込む。

因島の印象は、すでにつながってしまって、滞留しづらくなっている空気のなかで、それでも、対岸の島や、斜面に効率良く植えられた柑橘類の、景色として香る酸味が効いた風景。
果実ひとつが、都市にいると、通貨として有効にもなっているが、皮をむいて、袋をつまむ、その動作が意味するものが、みかんの大きな役割にもなっている。

いわく。
おばあちゃんの、みかん畑は、年に300万円の現金をうむ。
おばあちゃんは、みかんをもぐだけである。
おばあちゃんは、代々譲り受けた、そのみかんの木を大事にしていて、
斜面に立つ おばあちゃんは まるで、一本の みかんの木のようだ。

「ぼくらがうまれてくる」
平和の鐘の音がみかんの木を揺らしたか、
島には穏やかな風が吹き
俺の胃袋には 一升分の焼酎が 流し込まれた。

そのような酒の飲み方をしていては、先はそう永くはない。

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宝島 別冊 誰も書かなかったJpop音楽批評。
ポルノグラフティ。20日ごろ店頭に並ぶので、買え。
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「ずっと ずっと 前に」
10代の思春期の頃、その当時ですら、エロ、ポルノは質感が多様であったように思う。
編集T口からの今回の依頼は、「そろそろ、GOSOさん、とんでもないエロ本をつくりましょうよ」ということなのかもしれない。世界が、一瞬、止まるようなエロ本、というものがまだ出版されていないのも、大きな事実だ。
チターで奏でられた、「第三の男」が流れると、世界大戦は一瞬、止んだ。というが、「第三の男」と同等以上の効力を発揮する、「エロ本」などあるのだろうか?
作らねばなるまい。

「月へ行ったというのに」
たたたぁ。 たたた たぁ。
エビス駅のプラット・フォームに立つと聞こえてくる駅の音楽が、それだ。
近代戦は、このフレーズではもはや、止めることはできない。

そして、今宵、月の裏側の資料が送られてくる。
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by docore | 2009-02-12 18:51 | D
1/1
近所の氷川神社で初詣。
おみくじ、大吉。
小虎と麻里とで。晴れやかであるが、肌寒い。
椀物を家でいただく。
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by docore | 2009-01-27 13:10 | D
1/12
羽田駅で二人と待ち合わせて、広島へ。
機内で取材内容を確認して、広島空港から車で尾道へ。成人式の様子を眺めてから目的地である因島へ。
ポルノグラフティというグループを音楽史的にとらえなおす作業なのだが、家にあった二枚組みCDがずいぶんと助けになった。
ポルノグラフティが生まれてくる土壌を調査するつもりで、三人は現地入りした。
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by docore | 2009-01-27 13:07 | D
1/27
昨夜のこと。
旧友から電話で呼び出されて、笹塚へ。
予定していた時間から一時間ほど遅れているのだろうか、それでも、待ち合わせの場所で席についていると、すでに約束の時間が何時だったのか忘れている。
二本目の電話で三十分ほど時間を遅らせたはずだが、そもそもの時間を思い出せない。
目の前に置かれた生ビールのジョッキの厚めのガラス越しに浮かび上がる小さな泡を眺めながら、その向こう側にいるラスタヘアーの黒人の背中から聞こえてくる、丁寧な日本語をつまみに、待つための生ビールを飲んでいる。

モダンを取り間違えたパイプ椅子に座ると、両腕の不自然な痛みに意識がいってしまい、ひじをさする。旧友は階段を元気に上がってきて、席に着く。
「まぁ。まぁ。」ということで、酒を飲み始める。

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焼酎を入れましょう。
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いいちこのボトルの値段を確かめて、2500円であることに気をよくして、氷とウーロン茶をつけてもらう。
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地下鉄でお好み焼きを崩さないように持ち運び、電車を降りると、つまみ食いをしながら歩く。
夜の道を。もう電車がない時間に。
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by docore | 2009-01-27 12:49 | D



ワンカップフォトス onecup photos 
by docore
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