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くもの
文字入力をパソコンでばかりやっているから、「蜘蛛」という漢字すら書けなくなっている。
「蜘蛛」と書くことができないくせして、「蜘蛛」を「くも」と読むことはできる。
それでも、普通のフォントで「蜘蛛」と記されても、じっくり見ると、もはや「くも」とは読めない。
瞬時前の変換窓のようなところにある、比較的大きなフォントで「蜘蛛」と出るから、「くも」と読めた。
それも、読めたような気になっているだけかもしれない。

「蜘蛛」

y150と打ってみて、150円と頭の中で変換する人も少ないだろうが、
Y150.横浜150と読ませるわけだが、港が開いた150年目のお祝いに、蜘蛛がやってきて、
うろうろとしているらしい。
これは、まぁ、見ものといえば見もの。
迎え撃つ横浜の表現者たちは、すでに蜘蛛の天敵を考え始めているらしいが、あまり興味がわかない。
いじらしい表現のコールアンドレスポンスを予定通り撮影記録されたものを見つつ、なんか懐かしい感じがするなぁ。と思う。
計画された事柄に、隙がないのだ。


ナントへも行かなければなぁ。

「蜘蛛」
漢字検定の理事がなにやら、延々と不思議な態度で生きているのを横目で見つつ、清水寺で
松本 哉が「言」奉納をするらしいことを、これまた、不思議な気持ちで、眺めている。
元来、奉納という行事は、神社で行われるものではなかったか?
それでも、思い返せば、寺の中に、鳥居が進入してきている風景も珍しくはない。
歴史的には逆なのかもしれない。
神社の領域に寺が、どん、と構えている。というか。
しかし、何で清水寺?とあかねでこぼしたら、「寺は金もってるんですよ」と。

何冊かの出版ラッシュがあったらしいが、こちらは、まだ、永井荷風という生き方という本をきちんと読み終わっていない。荷風の生き方をうらやましくは思わないが、何事かを切り捨てて生きてゆく感じは似ているかもしれない。それはそうと、河川のことを調べていたら、松本 哉(父)の執筆に出会って、感心した。
そして、彼のイラストになる、川に浮かぶうち捨てられたセルロイドの人形の姿が、妙に重い浮遊感を漂わせていて、目の付け所が独特だ。スキャンして画像を載せた方がわかりやすいとは思うが、まぁ、このご時勢だし、そろそろ、そういうことはやめにして、それぞれの人生の不思議な空き時間の中で、浮かぶセルロイド人形のイラストに出会えば、それでいいじゃないか。

やんなきゃいけないことが山のようにあり、めじろおし。
それでも、25日のキワマリソウの宿泊予約をしたら、宿泊可能なそうで、あらためて恐縮する。
土、水戸へ行って、日、身と芸(水戸芸)を堪能して、ゆべしでも買って帰るか。
という魂胆である。
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by docore | 2009-04-19 05:04 | S
別の現代性?
無謀にも、時間内でテート ブリテインからの愚痴を荒訳するという愚挙にでてみる。
制限時間は「猫が朝ごはんをねだりに私の足を噛む」まで。
推定時間:5分。


ALTERMODERN MANIFESTO - POSTMODERNISM IS DEAD
Travel, cultural exchanges and examination of history are not merely fashionable themes, but markers of a profound evolution in our vision of the world and our way of inhabiting it.

More generally, our globalised perception calls for new types of representation: our daily lives are played out against a more enormous backdrop than ever before, and depend now on trans-national entities, short or long-distance journeys in a chaotic and teeming universe.

Many signs suggest that the historical period defined by postmodernism is coming to an end: multiculturalism and the discourse of identity is being overtaken by a planetary movement of creolisation; cultural relativism and deconstruction, substituted for modernist universalism, give us no weapons against the twofold threat of uniformity and mass culture and traditionalist, far-right, withdrawal.


現代改造宣言  ポストモダンは死んでる

旅行、文化交流 そして歴史調査は洒落た主題ではないが、
ぼくらが生息していく上の道筋と世界的展望において、重要な進化の指標となる。

もっとざっくりと、
ぼくらの グローバル化した知覚力は新しいタイプの再展示を、再提出を要求する。
---リプレゼンテーション。---
混沌として満々と降り注ぐ宇宙の中への短距離、長距離の旅、
そして変態国家=超国家の権利に依存している、
ぼくらの日常生活は これまでにない そのような並外れて巨大な背景に 疲れ果てて、役に立たない。

多くの兆候が定義され
ポストモダニズムは歴史的な終わりに近づいている。
多文化主義とアイディンティティの対話は放浪するクレオール主義の運動体に追い越されている。
文化相対主義と脱構築、
普遍的モダニストの代案、
ぼくらにのしかかる
均一な単調さや、
大衆文化と伝統主義者の二重の脅しに対抗する「無力な武器」を与えよ。

ファーライ。(遠い道理。)というよりも、ラスタ・ファーライのファーライか?
撤回。



The times seem propitious for the recomposition of a modernity in the present, reconfigured according to the specific context within which we live – crucially in the age of globalisation – understood in its economic, political and cultural aspects: an altermodernity.

If twentieth-century modernism was above all a western cultural phenomenon, altermodernity arises out of planetary negotiations, discussions between agents from different cultures. Stripped of a centre, it can only be polyglot. Altermodernity is characterised by translation, unlike the modernism of the twentieth century which spoke the abstract language of the colonial west, and postmodernism, which encloses artistic phenomena in origins and identities.

We are entering the era of universal subtitling, of generalised dubbing. Today's art explores the bonds that text and image weave between themselves. Artists traverse a cultural landscape saturated with signs, creating new pathways between multiple formats of expression and communication.


存在の中での現代性の再構成に都合のよい時のようにみえる。
一致して再確認されたぼくらが生きている はっきりとした状況
(決定的なグローバリゼーション時代)
経済的、政治的、文化的局面の合意。
もうひとつの現代性として。

もし、20世紀のモダニズムがすべての西洋文化的現象の上にあるならば、
もうひとつのモダニズムは地球上の交渉 (異なる文化からの代理人の審議) から生じている。
剥き出しにされてはがされた中心、
それをできるのは、多言語に通じたものだけだ。
もうひとつのモダニズムは翻訳によって特徴化され、
西側植民地の抽象的言語で語られた20世紀のモダニズムと、
起源と固有性のなかにある芸術的現象に囲まれたポストモダニズムとは似ていない。

ぼくらは、全世界的説明題(副題)、大多数の吹き替えの世紀に進みこんでいる。
今日の芸術はテキストや映像がそれら自身、織りあわされて縛られている、その縛りを探り出す。
芸術家たちは表現の複製の構成と意思疎通の新しい
抜け道で創りあげている記号で溢れかえって飽和した、文化的風景を横断する。

The artist becomes 'homo viator', the prototype of the contemporary traveller whose passage through signs and formats refers to a contemporary experience of mobility, travel and transpassing. This evolution can be seen in the way works are made: a new type of form is appearing, the journey-form, made of lines drawn both in space and time, materialising trajectories rather than destinations. The form of the work expresses a course, a wandering, rather than a fixed space-time.

Altermodern art is thus read as a hypertext; artists translate and transcode information from one format to another, and wander in geography as well as in history. This gives rise to practices which might be referred to as 'time-specific', in response to the 'site-specific' work of the 1960s. Flight-lines, translation programmes and chains of heterogeneous elements articulate each other. Our universe becomes a territory all dimensions of which may be travelled both in time and space.

The Tate Triennial 2009 presents itself as a collective discussion around this hypothesis of the end of postmodernism, and the emergence of a global altermodernity.




Nicolas Bourriaud


Tate Britain

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猫は邪魔にしにも、足を噛んで餌をねだりにも来ないが、
すでに30分を経過して、なんだか、すっきりともやもやしてきたので、
これは痴の好奇心がわいたのだろうと了解して、

トランスを一時 中断する。

なんとなくわかるなんだけれど、「だからどうした」という気分は拭えない。
まだまだハチャメチャな訳で、自分自身、混乱する。
頭の中では、だいたいのイメージはできているのだけれど、
素読百篇 意 おのずから通づる、とはなかなかならない。

もろもろの時間差があって、
下で、パスタ用の水が沸き始めたので、「そろそろ おわりに しよう」
とも思う。

その後、夜桜見物へ。
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by docore | 2009-03-31 10:59 | S
obama
どうもいろいろと腑に落ちない。
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あの寒空の下に希望を捨てずにいられた人々が、まるで違う、人間とは違う生命体のようにも一瞬、モニター越しに見えたが、映像であることを差し引いても、冷え切った空気は伝わった。
個人的には音楽家の今日的な祝祭の感覚を聞けたのはとってもためになったが、母国語ではない演説を瞬時に理解してゆくのは無理があるので、ニュース・サイトに載っていた演説の英文と翻訳文をプリントアウトして、自分なりに解釈しなおしている。

そうか。
言葉の怖さというのは、こういうことか。

その怖さを充分に理解して、果敢に現代を切り開いていった、スーザン・ソンダクなら、今回の演説をどのように、「反・解釈」しただろうか?
演説そのものよりも、オバマが強大な国家であるアメリカ合衆国の44代 大統領に就任したことを、彼女はどのような言葉で記述できたであろうか。
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by docore | 2009-01-28 03:17 | S
09 1 11 俺はパレスチナ
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忌まわしい日なのか、輝かしい日なのか、
09 01 11 という句読点を打ち損じれば、あの日を想起させるに充分な日付だということを
意識しつつも、冬篭りの頭には、いくつもの約束を反古にしたり、新たな予定を噛み砕けずにいたりして、いいかげんうんざりして、だらだらと路地を歩いている。

できれば、ミノブがやっているアナキスト・フットサルに参加しようと、仕事の準備を終えた足で、新宿方面へ出向くのだが、コートの場所が良くわからない。こういうときに携帯電話でもあればいいのだが、持たずに行くという清らかさも必要なので、持たずに歩いている。
そういうところから、「公衆」という語の意味を考えてみてもいいのだろう。

忙しくなくても、忙しくなっていってしまうのが、「公衆世界」だ。

前日、飼い猫の「虎」が家の電話のダイヤルの上を音を立てて歩いていったので、
「何番を歩いたのかな?どこかへ発信してはまずいなぁ」と思って、寝床を抜け出し、部屋の明かりをつけて確認したところ、背筋が凍りそうになった。
その番号は
「119」
オンフックでは最後にスタートを押さないと発信はできないから、彼が電話をかけることは皆無に等しいのだけれど、残された番号は「911」とライムライトの発色が恐怖心を煽っている。

戦争はやめてもらいたい。
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ゆっくりと歩いてゆけば、いくつかの道ですれちがってゆくだろうけれど、去年の「美術手帖」の五月号で対談を重ねたオダマサノリが、今日の日に、満を持してかフルセットのドラムで「これでもか!」という装備でデモの出発準備をしていたのには、大きな喜びを受けた。
「これでもか!」
鳴らし続けなければならないリズムはいくつもある。
そして、沈黙の意味を探り続けることも重要だ。

俺は、ただ単純に、あの聖地に対して、いくつものモザイク感情を持っていて、それがいくつものわだかまりを生み出して、こちらの日常生活まで、ぐたぐたになりそうになっている。
という個人的な感覚を正常にしたいがための、路上行進なのだ。俺にとっては。
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デモ行進の道順を前日に聞いたときに、「ずいぶん短い距離だな・・・」と思ったが、デモ前の会議に顔を出すよりも、いくつかの個人的なわだかまりを、解消したりするために、個人的なキック・オフをしなければならない。と思いつめて、大久保公園で、やっとのこと、彼ら、アナキスト・フットボールの面々を見つけて、「たまをける」ことにしたのだ。
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さんざ、徴兵拒否の手法のひとつに性転換だの、ホストになれだの、性差別もはなはだしい発言を重ねる現場に辟易して、たまをけることの意味を考えながら、この隣の病院は俺が、苦しかったときに、ぜんぜん診療もしようとしなかったなぁ。と思い返すのも気分が悪くなるくらいに、ふんぞり返っている病院の建物を「けっとばしてやりたい」とも思うが、あたりまえのようにそんなことをし続けた挙句に、こちらの足首はぼろぼろにずれていて、天に向かってつばを吐くのも考えものだ、と反省している。

いや。
俺はもう、あした、ちょっと取材で、瀬戸内へ・・・
という考えもいつまでも、いつまでも、持ちながら、
たまを けっていて、 ほのかに 友情は 芽生えていっている気もするけれど、
そんなことも、どうでも いい気もする・・・。
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どうでもいいっていうわけもないけれど、いったい、なんなんだ、この狂った世界は!
とわざわざ割ったようなコップをわざわざ修復して、だから、何になるのか?
と 穏やかに寒心させられる「オノヨーコ 展」を見たことを、ひとつの経験としてとらえなおして、
割れたあの聖地の修復を一個人のレベルでできるわけがないだろう!!119
と よたをとばしている。

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運よく平和の鐘をついてもいい時間帯に、学習院にいることができたので、撞くつもりはなかったけど、撞いた。
撞いたというよりも、撫でて、さかさまに吊り下げられたグラス ハープを奏でるように、もしくは彼女の股間をまさぐるように、撫でた。

それはそれは いい音色が こぼれ出した。


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平和の鐘の音の色をうんぬん と感想を煮詰めていくよりも、ここで、パレスチナからの声とイスラエルからの声、それも、比較的、社会を作り上げるに十分な立場の人からの声を記しておきたいのだが、本当に、その余裕がない。

申し訳ない。
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もうしわけない、いいわけをオノヨーコ作品のひとつである、「短冊」に書き記して、それらは、北欧へと巡回するのだけれど、そんなことが、大きく期待される今日ではないとも思う。

こぼれだすものは、なにも愛に溢れた液体だけではなくて、
無残にも権力者と狂言者からの命令に従っただけのおろかな行為の果てに流される臭い脂汗、そして無垢な子供たちの怯えた果てにまちうけている爆撃による、流血もあるのだ。
イスラエル製品をボイコットするだけで、この戦争が終わってゆくとは到底思えない。


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たまをけることの いいわけと いまだに中東の和平に対して、いい立ち居地にいられない自分へのいいわけが、一切できずに、大いに反省している。

なにひとつ、アイデアが出てこないのだ。
今回の争いを回避する方法の。


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by docore | 2009-01-18 01:38 | S
電気について
押せば点く。当たり前のように点く。
それが家庭内の電気なのだが、店舗営業をしていると、電気代というのが、
うなぎのぼりで、かさんでくる。
それと同様に社員の通信料も、かさむ。
誰が払うつもりだろう?

こうこうと輝く光は
乞う乞うと蚊が厄日に刈る

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電気街で何かするつもりは私には無いが、路上喫煙禁止のキャンペーン中に、
歩道と車道の間に座って、煙草を吸っていた、というくらいのささやかな抵抗をしたぐらいか・・・。
ささやかすぎて、自分でも自分のことを嫌悪する。
それはそうと、秋葉原に魅力を感じたことはあまりないが、新宿BERGで増山さんからビラをもらったので、ノせておきます。

のせておく。
と書いて、「NO SE NO」というもう今はないだろうNYのギャラリー・スペースのことを思い出してしまった。あれはあれで、なにごとかの流れは作ったみたいだ。
表面上に機能しているものと、水面下もしくは土中で動き始めているものの違いは何かと考えたら、後者は圧倒的にエロチックである。ということかもしれない。
正解を求めないこともエロスの重要な定義要素なのかもしれない。

桃色ゲリラという手法を見学しに行こうとも思う。

だが、三連荘で、「用事」が詰まっているのだ。
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by docore | 2008-10-30 05:08 | S
鳩に帽子を
たぶん鳩防止からの発想なのかもしれないが、
丹羽良徳が、なんと、今日、横浜で50羽の鳩に
帽子をかぶせてゆくという。

横浜ZAIMに7時、集合。
9月19日。08年。

はとぼうし

雨も上がって、ソファで出かけ先を画策しているときに、
このような知らせが、届くのだから、まんざらわるくない。

密着撮影を試みようと思っている。
篠原から借りたカメラで。
その機種にも思い入れはあるのだが、次週には返す約束をしているのだから、
あまっているブローニーフィルムを使い切るつもりで、丹羽に会いに行こう。

フェルトの帽子は、ナムジュンパイクとヨゼフボイスの隠喩であろう。
街にいる野生の鳩は、なんの象徴なのだろうか?
彼にとって。
その時空間においては、被せ先、としての鳩の頭部が彼にだけに意味を持つ
フィールドに変容しているのだろうと思う。

その行為を記録・変容・表出させるためにも、横浜へでかける価値はある。
例えば、「鳩の頭にフェルトの帽子を被せることが、できるか、どうか?」
という成果主義的な文脈よりも、何故、ナムジュンパイクはフェルトの帽子を燃やして
ピアノの上に置いたのか?を探るためにも、

ぼくは泣きそうな気持ちを抱えながら、丹羽に追従してみようと思うのだ。今日ぐらいは。

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by docore | 2008-09-19 11:30 | S
路上社会について
いよいよ。夏祭り。
俺的歴史視点からみれば、高円寺の阿波踊り、
そして、サウンドデモ、
その後の246表現者会議。

という流れだが、8・23---24
あらたな伝説が、宮下公園で生まれる。

公園のナイキ化!
公園の内規 と書けば、聞こえは複雑になるけれど、
今年は、ダダカンも銀座に来るし、
大変なことになりそうな予感は ある。

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宮下公園をnikeから守ろう会 といえばいいのか、正式名称はうろ覚えだが、
宮下公園の夏祭り そして、リブランディング・・・

ナイキを履くことに、身につけることに、大きなためらいを覚えるほど
運動と生活、そして表現は複雑に絡み合っているのだが、
その複雑さの 糸口が まだ みつからない。

そこにくると、ナイキ ポリティクスを展開している 藤井 光は見るべき作品に
取り組んでいると 思われる。 ギャラクシカ カウンタックで31日まで。

靴の歴史。
そして搾取の構造。

運ぶという言葉の語源は どうやら、 「耐える」 から 来ているらしい。
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by docore | 2008-08-23 03:44 | S
それぞれ
やっぱ、普通に考えると こうだと思うのだが、
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いくらでも 可変 する。

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by docore | 2008-07-02 16:16 | S
ねころびつつねこむ
自宅のトイレの修理を自力でやっていたら、三日ほどかかった。下水蓋がもうひとつあることを忘れていたのだ。というか、気づいていなかった。はじめから。
自宅のトイレは水色の便器で、洋式。風呂場にあるのだが、東洋陶器製であるところに、ほのかな安堵感のようなものがある。もちろん、INAXも好きですが。
二つ目の下水蓋をもう少し早く見つけていれば、修理も手際よくできたのだが、その蓋は生い茂った草に隠れていた。
そんなわけで、二つ目の蓋を発見しないうちは、便器を床からはずしてみたり、10メートルの長さを持つ専用ワイヤーを管に通してみたり、で、なんとかワイヤーは便器口から下水排水溝まで伝わるのだが、いまひとつ、感触が良くない。
その管のどこかで、ぐ、ぐと先へ進めない引っ掛かりを感じるのだ。

マルセル・デュシャンの便器。それを有名に知らしめたケルテスの力量。
そのようなことを考えながら、便所で格闘している。
便器と浴室の間には猫用のトイレがある。


まぁ、いいや。ばかばかしくなってきたので、
猫の写真。
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by docore | 2008-04-24 03:36 | S
420
木田 元のことは岡 啓輔から「木田さんはやくざの用心棒もやっていた」と、聞きかじったくらいで、あまり多くのことは知らない。その彼の哲学スタディの歴史を今後、あらゆるメディアは取り上げられてゆくだろうけれど、木田の魅力的な著述生活には今後、意を注いでいこうと思っている。木田のことを知ったのは、高山建築学校へ足を運んでからだが、そういう良い、意識的なきっかけは、いつも岡が作っていてくれた。そのお返しにもなりはしないだろうけれど、月末に行われる、レム・コールハースが磯崎 新にインタビューするという催し物へ出かけて、岡のアリマストンビルをSEKINEMAが撮影した写真を、手渡す予定では ある。

さて。
桜であるが、青山墓地はまだまだ、見頃で、それは「八重桜」。
もう、いいかげんに、花見をあきらめるべきなのだろうけれど、今が死に時とばかりに、墓地で桜が積もるように咲き誇っている。何故、青山墓地にいるのかというと、おばの系列の墓とか、そういうことをうっすらと流して、意識をあえて混濁させて、日曜日の午後はサウンドデモへ出かけようと思うのだ。
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かおたんラーメン。などという懐かしい、夜にへばりついていた頃の、味覚。その裏の花屋。墓地で買う花には一抹の色気をいつも感じるが、その道の向こうには米軍施設があり、今日はデモに関連して、いやな色合いの護送車が待機している。その先の米軍ヘリポートのフェンスに仕切られた土手から西側で、今日はマリファナマーチ。大麻解禁のためにと、アピールする日なのだが、俺はビールとドラムとハイライトでいいとも思っている。経済的なこととか考え始めたら、大麻のほうが俄然いいのもわかってはいるけど、まだ、済んでいない仕事があるので、そこはこらえている。

建築的に面白いと思うのだが、そこで、モディを観るのはもはや、ふたたび犯罪的な気分になる。と思わせる、六本木のデザインセンターのようなところの脇を入って、いったいどのくらいの文化的生活を犠牲にして、このような文化的商業施設ができあがっていくのかを思うと、気が遠くなるのは、すでに、東京っ子としては、森ビルの屋上でビールを飲むのも、悪くはないな。と思い始めているからだ。そうとう疲れているときには、それはそれで、しかたがないではないか。という気分になってくるほどの、街の壊れ方をまだまだ、経験してゆかなくてはならないのだが、たまに水面を眺めて、目を休ませてゆこう。

日経新聞の俵屋宗達の図版の上に座り、RLLと歓談する。ここに陽は射す。
サウンドはこの界隈では異様に重要で、今日の広場では、レゲエ、レイブ、テクノパンクノイズ、代々木ジャンべと豊富な音が気持ちよくミックスしていた。ミックスとはいわないか。音のテリトリーを各界が判っている、大人なパーティーだった。

巨大ジョイントを神輿代わりに担ぎ上げて、持ち上げる時の動作が、モディリアーニが惚れた建築彫刻群にそっくりで、「キャリー・アップ」の言葉の意味を初めて知った。
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4月20日の4時20分に始まる。なんて、素敵じゃないか。

その素敵さは5月9日19時オープンのHemTieでも続くといいな。

-----
木田元の意識の流れをとらえる前に、哲学というものを知る必要がある。木田はハイデッカーを読みたくて語学を習得したと記憶しているが、この流れには彼の青少年期のとまどいのようなものが、感じられる。それらは、童貞性として、とらえなおしてもいいのではないか?
「森の響き・砂漠の声」が今年の東京の夏。
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by docore | 2008-04-21 03:25 | S



ワンカップフォトス onecup photos 
by docore
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