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カテゴリ:S( 34 )
ラプソディとは・・・
素人の乱12号店。

思い返せば、「この窓を外してくれ」と言われて、窓外の景色をみんなで観たのが、二年前だったか、三年前だったか?YOYOにそう言われて、窓を外してみたはいいけれど、折れた左鎖骨は、ますます複雑に接合されたことだろう。まったく、切羽詰っている自由な人々は無闇に無茶なことを言い出す。

退屈だったし、鎮魂と供養のために充分な時間も必要だったので、ぼくは窓を外し、階段を降りて行った。
その階段をへろへろとふたたび上がるとは思わなかった。
「粉川哲夫と藤井 光の対談。ビフォを巡って」を聞きに行ったのだ。
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3時間は遅れただろうか。
すでに、モノグラム的に対話がなされているような気がするが、フランコ・ベラルディのことをアントニオ・ネグリを知らないのと同じぐらいに知らないのとは重量的に意味が違う景色の中で、ここから先へ向かうことの困難さを感じた。まず、ひとつには、自律的に何かを形成するということが社会集団にとってはその集団の形成過程においていくつもの語義矛盾を孕んでゆく。
その矛盾を解消もしくは無視できるのが、アートもしくは芸能の領域だと思うが、昨夜気づいたことは、すでに空間というものも矛盾を内包しているのではないか?と思い始めた。

言葉を選ばなくても良ければ、空間がすでに作品化している。と言っておこう。
それは間違っている。
空間の中での態度がすでに作品化されている。

こういうことができているのも、藤井 光と粉川 哲夫の真摯的でかつ、余白を残し始めた交流のありかたに起因する。美術家であることをやめようとはしない藤井と身体性を失わずにラジオ少年でありつづける粉川の対流を観察するためにも、この高円寺の忘れ去られつつあった部屋に人々は集まったのだ。
これをたんなる「モサク イベント」と捉えていてはいけない。
40周年だとは知らなかった。

ビフォとトニの関係にイルとイラ、または神長とぺぺとか、ドールズ・ガタリを重ねあわせたりしながら、高円寺の夜は耽けようともせず、しっとりとしみてゆくのだ。
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by docore | 2010-03-15 09:11 | S
アマチュア レベル
素人の乱主催のかなりラディカルなデモに間に合わなかった・・・。
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「レベルって、どんな意味?」という問に「Lで始まるのとRで始まるのと、違うけれど、反乱とか・・・」。

他人からレベルの意味を問われたのは、生涯で二度しかないから、俺の人生経験もたかが知れている。
イギリスのガーディアンという新聞といっていいのか、何事かをたしなむ冊子なのか情報誌なのか判らないけれど、たぶんアエラのようなもの?から松本 哉が取材を受けたときに英語表記で「素人の乱」は「アマチュア・レベル」と記されていた。
レベル=反逆。
クラッシュのレベル・ワルツを頭に響かせると、けっこう「素人の乱」もいい感じで風景に乗っかってくる。


高円寺中央公園に着いたのが、すでに3時を回っていて、バツが悪い。
のどかすぎるほどのどかな公園の空間。
公園から見える10歳前後の頃に住んでいた家が改築されていて、なんの魅力も感じない。ただ、甘酸っぱくなるまえの果物を齧るようなたよりない感傷が滲んでくるだけだ。かつてはペンギンという床屋があった。
中央公園で持参のコーヒーでも飲んでいると、「音」がやってきた。
まさしく、音がやってくるのだ。
そういうデモだと、俺は理解している。

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音がやってきて、声がやってくる。
多少は迷惑な行為かもしれないが、示威行為をせよと権力の側から求められるのだから、いたしかたない。
きちんと路上に音を残してゆく。
そういうことができる、素人の乱の面々に、いつも大きな期待をしている。

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今回は、自転車がかなり目をひいた。
なんとなく、このあいだ関わったCOPでのフィラスティンのことを思い出してしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=G4UXOtIEi_U
http://www.youtube.com/watch?v=-Oo6qhPLgW0
山之口貘の「マグロとイワシ」という詩を自転車に積んだ5台のスピーカーで5chで流す。というもの。
一回の俺の朗読の音源を、5チャンネルぶんに振り分けて、メールで指定されたアドレスに送信したのが、フィラスティンが指定した日時のぎりぎりの直前。デモ直前に機材を警察に奪われたというから、なんとなくがっくりしていたけれど、うまく奪い返して、とぎれとぎれの行進ながらも、最後までサウンドを流しきった。と連絡があった。a0008164_33188.jpg

その場の音圧を経験出来ないのは、情けない限りだが、沖縄出身の山之口貘の詩がコペンハーゲンの寒空に流れるだけでも画期的だと思わないか?
気候変動の空の下、イワシのような女房が急にマグロを喰いたいと言い出すのだ。

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目的を大きく逸脱できているところに、それぞれが驚きをもっているだろうし、いつもなんだか、たった三人で準備をしている哀しい雰囲気が多くの賛同者を呼び寄せるのだろう。
奇跡はそういうところからしか生まれない。

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デモ後に、ゆらゆらとしていて、所在なく、寒さも手伝ってか、ケンタッキーの前へ移動したとき、子供用のドラムで変わった音を出していたら、幼児を抱いたおばさんが近寄ってきたので、子供にスティックを渡したら、楽しそうに叩きはじめた。その音が頭上を通過する中央線の電車の音と相混じって新しい、本当に新しい音色が生まれた。
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なにはともあれ、生まれるというのはいいことだ。
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by docore | 2010-02-28 02:44 | S
きゃのぴー
いや、実際はオーストラリアにおける黒人と白人の労働格差をなくそうと運動を主導していた人だったと理解しているが、実はその運動のシンボルともいえるワッペンを新宿IRAで受け取ったのが、去年のこと。
黒と白のこぶしが握手とも腕相撲とも読み取れる微妙な形でデザインされている。そしてそれは三角形を形作っている。
「この中に黄色は?」と苦々しく想いながらも、彼らは、去年、とにもかくにも洞爺湖へ向かうための足がかりに新宿を選んでいたのだし、私は私で抱えているきわめて個人的な問題をどうしても環境問題にすりかえることができずに悶々としていた。
相当なスケジュールだったと想う。
「息を抜きたい」との彼らのつぶやきを受けて、すぐさま新宿御苑が思い浮かんだ。が、どうもそれを伝えるには彼らの真剣さとバランスが取れない。前向きな環境問題と、それをささえる労働問題を話しあうための準備にかける労力は異国の地であることも重ね合わせて、計り知れない。


http://www.youtube.com/watch?v=23HTGxU0BTk
FaceBookで偶然、キャノピーを見つけた。

なんだか、こういう感じももどかしいが、彼自身、自分の歴史を大きく振り返る季節に来ているのだろう。
アイルランドの音楽はポーグスあたりから、俄然好きになった。
もちろん、音楽には戦闘的な歴史も多く含んでいて、当然人々の気持を鼓舞するのに充分役に立つ。
完全に音に引っ張られてしまっているときに、人間のもつ残酷さ、野蛮さ、を知るべきだ。

一歩引いて、スペースを作る。
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by docore | 2009-12-19 09:42 | S
だらけて オリンピック
http://xijingmen.net/olympic/

ボイド・キッチンのブログを見ていて、「ずいぶん整理されているものだな。几帳面なのかな?」と思いながら、だらだらとリンクをたどっていったら、小沢剛の去年の仕事が出ていた。中国を飛び出さざるをえなかった芸術家たちが、北京オリンピックで呼び戻されて、悪態をつきながら「なんとか、へこませてやろう」という変な気概の作家生命のようなものを賭けて、あれこれしていたのが、すでに前世紀のような気がする。蔡国強やアイ・ウェイウェイとか。もっと詳細が知りたい気もするけれど、アタリそうなので、やめておく。

妙なタイミングで、蔡さんがP3を始めてたずねてきた頃のビデオを見る機会があって、「切羽詰った感」が滲む風貌に驚いたことを思い出す。当然といえばとうぜんだろうけれど、「帰ったら殺される」と言わしめる国が中国なのかもしれない。自分の中のすべての恐怖心を集結できる国として、中国がある気もするが、天安門事件を、きちんと歴史的事実として受け入れきれなかった自分に敗因はある。

今年、東京オリンピックを誘致するのに15150億円をかけたらしいが、その経済効果がすでに2000億あるから、いいのです。というようなことを、いけしゃあしゃあと言える人々がいて、そんなら、「貸しているもの返せよ!」と机を叩いてみても、はじまらないので、周辺に借りたままの「お金」をとぼとぼと返しています。
なんなんだろうな。「金」が判らん。

なんとなく、西京オリンピックのサイトを見ていて、こういうのは小沢 剛でなければ、嫌味が増すのだろうな。
と思いつつも、ドローイングが上手くなっている気がする。昔、NYへ行って、最後にはピストル自殺をしてしまった有名な画家の「弟子から、技法を学び取ってきた。」と有無を言わせず言いきった、彼なりの勢いというものにいつも、感じ入ってしまう。現代美術の細胞分裂したかのような流れを観察する気には、ぜんぜんなれなかったので、日本の作家の作品の値段とか、受け入れられ方とか、気にすることはないが、どうもいつも、違うところで、きちんとしたものが、産まれてきているようで、そういうものは無責任に楽しみにしている。

「疲れちゃった」
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by docore | 2009-10-20 03:24 | S
小川恭平
朝、おきて、「どつぼ」にはまっている時に、思い出すのが、
小川兄弟のことだ。

うやうやしく、平らに。
という名前を眺めていて、そして、恭平くんのことを考えていると、とても、こちらが痛んでくる。
心よりも、筋が痛んでくる。
その痛みが何かを僕の中で生み出してゆくとは思えないので、輪をかけて、心は痛んでくる。

そもそも、「書き得ないな。」と思われることを、書いてゆくことにすら、絶望に近い感覚を覚える。

絶望というものを観察しようとして、目が覚めているときの時間をだいぶ無駄に過ごしてしまったおかげで、
自分が、「一時停止」している最近を、とても新鮮な感覚でとらえなおしていられる。

「ベーシック インカム」の問題提起を、去年の五月に銀座で受けたときに、「それは無理だ」と倫理上から、
伝えたつもりだが、要求というものは、インパクトがあったほうがいいとも感じていたので、ほのかな期待をしつつ、可能性を求める口調で「無理ですよ」と伝えた。

それから、一年たって、「何が無理だったのか?」を個人的に分析しようと今朝から思い直し始めた。

小川恭平のことをきちんと考えることができないのが、不幸なのか幸運なのか、わからないが、
もし、かりに、「鴨川ホルモー」という映画を見て、なにがしかの興味を感じたのならば、
京都で、ふんばっている、小川恭平に会いにいくと、いいと思う。

エクスタシー ユニオン
というのを、小川恭平はやっている。
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by docore | 2009-05-21 09:35 | S
昨日
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昨日のことを書き始める前に、去年のことを思い出さなければならない。
去年、苦々しい思いで、マリファナ マーチに参加したのだが、去年は新国立のこともあり、公園の方々で出ている新鮮な音の混ざり合いに気分を一人でよくしていた。そして、案外、RLLもやるな。と感心したり。

麻の葉模様を斬新に色づけしたものTシャツを予約しておいて、何故だか、知らない人に、知らない人から、
シンプルでストロングなデザインの方をプレゼントされた。謎が謎を呼ぶわけではなく、何故が何故を呼んでいるうちに、考えてみれば、そんなにいけないことなのか?大麻?
と思いいたる。

それにしても、マリファナ マーチなのに、デモ中の横を歩いていた、いい感じの女性から、
「どのような観点から参加しているのですか?」と問われたことに、不思議な驚きを感じた。
「マリファナ解禁です」と答えたら、彼女はのけぞり、同じ問いを彼女に返すと、小さな口はこう答える。
「大麻の医療使用を認めるべきだ・・・」と。

痛みの取り方は百人百様だとも思う。

二年前に、アムスでの展示を喜んでした、行きがかり上、「自由」について、考えが深くなりすぎて、自分の中では、どつぼにはまっているが、視覚効果というものは、簡単に薬物で制御できる現在、見えないという現象もこれから、人類はなんとかしてゆくということも、進化上、決められていることではある。

お金と時間は、かかりますが。

現在、知人の南束のことに心を裂かれているので、そういう混沌とした気分で、文章を組み立ててゆくのも自分の中には興味があり、組み立てながら、壊して、「いったい、あれは、なんだったんだろうか・・・」と
来客が我が家の扉をたたくまで、書き記してみよう。

ふたつ みっつ、書くべきことがある。

と、もう来客だ。カムフロム 香港。
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by docore | 2009-05-18 16:44 | S
nike社会とmike社会
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君のデザインが走り出そうが、転げ落ちようが、どうでもいいことだが、ぼくが鎖骨を折ったときに、
ちょうど、鎖骨骨折のアド ボードを掲げてくれたナイキの粋な計らいに、ある種の妬みと羨望をもって
こう答えておく。
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http://nikeid.bccks.jp/
恨み節を続けていくのは体に悪いし、すっきりしない。
そして、企業というものが元来、利益を追求する構造になっているのだから、いくらエコだなんだといっても
その活動形態から滲み出てくる膿のようなものは、異様に臭い匂いを発するものだ。
ナイキのまっさらな靴の匂いをかげば、まだまだ、そこには多くの搾取の構造が読み取れる。

極論すれば、都市において、靴を履かなくても過ごせるようにすることのほうが、正しいような気もするが、
ナイキは運動を呼びかけているので、こちらも、社会運動で返球しようと考えている。

ばかものがばかものを延々と生み続けてゆく構造はいたってシンプルで、それは美しいとすら思えるが、
今の自分にはあまり関心は高くない。

図の解題などをやっていては、朝飯が冷めてしまうが、「ナイキが宮下公園を私物化・有料化」することに対して大きく反対する。という意味を込めて、デモをしたときの、景色をのせてみる。
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by docore | 2009-05-06 07:30 | S
5月3日は
○15:00- プラカード作り、楽器練習、オープンマイク
○17:30 集合 17:45 デモ出発 19:00 到着(予定)
【コース】宮下公園~明治通り~表参道~「五輪橋」渡る~「岸記念体育館」右
折~渋谷区役所前~公園通り~井の頭通り~宇田川町交番左折~東急文化村通り
~渋谷スクランブル交差点~宮益坂下~明治通り~宮下公園

「アフターパーティー」

5/3

さて、デモ。
プレカリアートという言葉に反応しなければならない自分と、この世に情け無さを感じるが、人間の想像力は、それを補って有り余る(ここに大きく展開する言葉を模索する)  がある。

このデモコースが優秀なのは、東京の成り立ちが歴史的にわかりやすく伝わってくることだ。何も、運動史のことではなく、極、自然な成り立ちの人の営みとしての都市の歴史。
ぼくは46歳だが、このブログを読んでくれている方々も、高齢の人が多く、こちらの異常な語句への想像の連鎖、実験的な心持を汲んで、いくつか、お話がてらのメールをいただくことがあるが、文脈を分断することの幼児的な喜びと途中で、急に個人宛の内容に変わりつつある文章の中で、いくつか模索していることがある。
言葉がひとつの風景を立ち上げてくるならば、その風景を切り取ることもできるのだろう。

デモコースのことを考えなおそうと思って、横道にそれてしまった。

ふだん、人々は歩道を歩くが、もうすこし、道の真ん中を歩いてみたいものだ。と誰しもが思うと思うのだが、
たいがい、道の真ん中は車道だ。車道はシャドウだ。といい続けて、車社会を切り捨てようと、目論んでいるけれど、やはり、運転は人間の欲望の大きなものとしてあるのだろう。

いぜん、車はなくならない。

ふと、オランダの自転車社会のことと、仙台の道の真ん中を人が歩ける社会のことが「風景」として浮かび上がってきた。たぶん、日本のほかの土地にも「道の真ん中を歩ける 地域」」というものがあるのだろうが、この車社会では「みちのまんなかを あるくな」という風習で生きていかざるを得ないので、人間は矮小になってゆく。

大道りを大手を振って歩かせない、この社会。
それこそが、風景が生み出した現代の病理だと思う。
今回のデモでも、車線の左側をなでるように歩けるだけで、「まんなか」を歩けるわけではない。
道交法に引っかかるのだが、真夜中、真ん中を歩いたりはするが、そうしたときの、「都市の風景」の変わりようは、とても興味深い。

都市において、「ひとをまんなかにもってくる」という技法は大前提だったような気もするが、いくつか、今後、
都市のアイデアとして、主幹線道路の上を歩ける都市改造を提案してゆこうと思う。

いつごろから、ぼくらは、ある見えないルールに飼いならされてしまったのか。
見えないルールなんて、何も言っていないようなことを書き記すことに「絶望」を感じる。

糸の色とは?
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by docore | 2009-05-03 06:30 | S
いうこときかない
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毎日がメイデイだったら、体がもたない。
だが、しかし、もたないからだを酷使しつづけて、メイデイを蘇らせ行動することによって忘れ去らせないようにつとめている個人や集団がある。


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条例によって、魅力が半減してゆく都市の退化過程を徐々にだが、われわれは実感してゆくわけだが、バルセロナからの報告をまつまでもなく、特権的な路上芸術、飼いならされた半芸術行為には、ほとほとうんざりしているのが、「前衛的観衆」というものだ。


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スペインで撮影された、この写真の撮影者と、そして、この高く掲げた腕をもつ人物を「誰だろう?」と想像することも必要だが、これらは情報として入ってくる前に、表現行為として、目に飛び込んでくる。
このプラカードは246表現者会議が会議とおのおのの表現と観察の経過において生み出されたものだが、
渡辺 篤の力添えが大きかったように思う。
それはそれとして、小川哲夫はそのステッカーを新宿二丁目で配っていた。
新宿二丁目というか、元洗濯屋というか。


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高層ビルの強化ガラスから西方を眺めてゆき、都知事室の大理石シャワールームがどうなっているのか?
腐れたかけた街は傾くわけではなく、ただ腐ってゆくだけである。

簡単な話です。
匂いをかげばいいのです。

都民として、生きているつもりはあるが、あまりにも都庁が「ダサい」ので、もういろんなことが、うんざりしてくるのだ。

という観点からも
5月3日は宮下公園に集合。

More INfo
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by docore | 2009-05-02 04:28 | S
ろくねんまえ
とても6年過ぎたとは思えないが、デジタルカメラのデータを見ると、2003年になっている。
10月17日。
とてもよくできたもので、撮影時間まで記されている。
22:19。


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六年前に何をしていたか?というと、アメリカ大使館前にいたのである。
JT前とも言っていた。
アメリカが、と言っていいのか、ユニテラリズムが行き過ぎたあげくの、イラク戦争といい始めればいいのか、
何がどうなっているのかわからない状況というものは、いつの時代にもある。
歴史の語り部たちは、滅多なことでは、自分に有利な嘘はつかないものだ。
真実は徐々に明かされてゆく。
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by docore | 2009-04-21 04:04 | S



ワンカップフォトス onecup photos 
by docore
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