goso's blog
2014-01-20T09:12:47+09:00
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ワンカップフォトス onecup photos
Excite Blog
終夜
http://goso.exblog.jp/19351313/
2014-01-17T02:53:00+09:00
2014-01-20T09:12:47+09:00
2014-01-17T02:49:33+09:00
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P
ぼくは写真家だから、それなりに現在の写真について言及してきたし、写真が死のうが生きようが、どうでもいい立ち位置で、生きてきた。
でも、考えてみれば、写真家なんて職業は人類全員がなれるはずだし、そういう難しいというか不可逆的なものはひとまず、おいといて見える範疇のことへ言及してゆく。
そこに写真があれば、いい感じだし、なければもっといい。
オノ ヨーコのインタラクティブな作品にぼくは「満月が見えた」と。
ほとんど、阿呆の返答だけれど、オノさんじゃなければ今回のこの仕事が成立したかどうか?
を考えるまでもなく考えてみて、まだみんな息苦しく生きているんだから、その、行き詰った/息詰まった、
息を聞き取りたいと、切に思いつつも、、今日が満月で、仕事があって、それに感動する人がいて、
?と思いつつも、まだ空に満月が あるならばそれはそれで いいじゃないか。
(もっとちゃんと書ける)]]>
大原大次郎
http://goso.exblog.jp/18195720/
2013-07-28T03:28:00+09:00
2013-07-28T03:47:36+09:00
2013-07-28T03:27:10+09:00
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月を運ぶ
写真の上に稜線が描かれている。
で いいのかな?
寅彦 なんていうのは 謎で良かった。
寅彦という写真家が撮影した山の写真だということらしい。
去年のTATで大原大次郎の文字のモビールのアニメーションを見た。
そのとき、佐藤直樹との鼎談的な対話も聞けて、ぐっと身近な人になった。
ぐっと身近な感じな人になったので、遠くから眺めることにする。
遠くから眺めていて、いいデザインって、やっぱりいいなぁ。
と久しぶりに思った。
POST
こう、山がどーんとある写真を目前にすると、いつも躊躇してしまう。
その、こちらの躊躇する情けない態度を大原大治郎の稜線が、視線を誘導して、とても、
いい感じだ。
この「感じ」を ゆっくりと言語化して行こうと思う。
(つづける)]]>
芸公の壁
http://goso.exblog.jp/17208114/
2013-01-25T06:25:00+09:00
2013-01-25T06:24:26+09:00
2013-01-25T06:24:26+09:00
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E
すかっとろう というバンドもやっている。
この写真は、上の階で彼自身のバンドのお披露目的なUSTを放映しているのを、ぼんやりと
数学者や言語学者と眺めているときに、はたと思い立って撮影したものだ。
芸術公民館 (最近は跡地と言ったり、旧芸公と言ったりするが・・・)の、この壁は
ここのオーナーである会田誠が大判の白い紙を貼り、
「自由に描いてください なるべく文字ではなくて絵を」と控えめな指示を与えられた
美しい縦じまの銀色の壁だ。
その紙に書かれた壁画は現在、森美術館の「天才でごめんなさい」展の混沌の部屋で見ることができる。
混沌に目鼻をつけてしまうと混沌が死んでしまう。
という故事にのっとるまでもなく、ある種の人間以外は会田誠の仕事の全貌を、目鼻をつけるようには
語らないものだ。また、混沌という化け物というか神のようなものは、どの歴史的想像の図版を見ても
どこか愛らしく、こちらに余裕があればペットに飼いたいほどの奇妙さをそなえている。
銀色をあえてスクリーンにして投影することを試してはいるわけだが、
どうやら、銀色という反射性もさることながら、この壁の持つ縦じま性にいくらか心が動いているのだろう。
白いジャケットを着こんでいるのが、北大路で、その右上、丁度北大路が腕を伸ばしているあたりに
掛けられている絵は富山の若い女性が会田誠のプロフィール写真を愛をもって模写したものだ。
この写真では判らないだろうけれど、会田の眼の描きようなどは相当な神経を使っている。
その息をひそめた息遣いが、この絵を見ていると、北陸の方から冷気を伴った暖かさで、伝わってくるのだ。
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TAT
http://goso.exblog.jp/16708934/
2012-11-01T06:22:00+09:00
2012-11-28T02:24:25+09:00
2012-11-01T06:22:15+09:00
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P
芸術公民館に随分と長い間、居る。
毎週水曜日のバーテンダー以外は、さして居る理由は無いのだが何故だか気になって、芸術公民館に居る。
そこで会ったのが、武田海だ。
彼の表現は独特だった。バルセロナでの生活を経て、彼は東京に戻って来る。
(海は、と言わせてもらおう...) 海はFRPの造型の上にミシンで糸を縫い走らせた和紙を貼り、表現へと持ってゆく。今年の梅雨時にやった地下室での展示に海は作品を二点持ってきてくれて、その作品をもってして、その展覧会の意味が成立したのだと思う。海の批判精神が、作品を通して会場の空間に染み込んでゆく。海は来年二月にも六本木のストライプハウスギャラリーで展示をするはずだが、彼が会田誠の誕生日に描いたドローイングの模様が気になっていた。海はそれは女の子の尻だというのだが、どうみてもできそこないのハートマークにしか見えない。
できそこないのハートマーク。
その文様が旧東京電気大学の12階の男子トイレの奥のほうにふたたび立ち現れた時、僕は思わず、「これは!」と身震いした。できそこないのハートマークが海を通じて、僕の手を動かし、そこにようやく今漕ぎ着けたのだ。ぼくはそういうものごとが「トランス」だと思っている。その12階の男女のトイレでの、展示空間の写真を携帯カメラで撮影して送ってほしい。twitter でいいから。
#12toilet
↑ サトーさん@zombieflamingos の作品。
いろいろと集まったら、
まとめて本にするつるつもりだ。
http://www.kanda-tat.com/
そして、もうひとつの片割れハートマークが出来上がった由来は松田修 に因るところが大きい。
Ai Wei Wei への返答として。
因る>依る
こちらも漢字使いだけれども、アイには負けたくない気分もある。
はんとして
日本のアイウエィウエィは言い換えると、パルコ木下 かなぁ。。。、
はん?
またふたたび、「はん」について考える。
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アフター ’(アウターもしくはアクター) 311
http://goso.exblog.jp/14898491/
2012-03-21T01:23:39+09:00
2012-03-21T01:23:46+09:00
2012-03-21T01:23:46+09:00
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S
2012年4月2日(月)18:30 - 20:00
日仏会館1階ホール
HEC経営大学院学長が来日し、その機会に下記の討論 会が開催されます。
皆様のご来場をお待ちしております。
経済危機とマネジメント教育
HEC経営大学院 東京事務所
在日フランス大使館
日仏会館フランス事務所
後援:在日フランス商工会議所
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呼びかけられているんだから 行くべきなんだ。
だけど、四月馬鹿の 次の日の設定。
カクケイエイを踏まえたうえでの、芸術の一手を俺は
いまだに 求めている。
だから 「今日の 芸公 」
いまさら、フレンチ経営も何もないだろう。
きちんと、反吐を吐ける人が発言するべきだと思う。
じゃなければ、なんのための「脱原発デモ」だったのか?
彼らは歌舞伎町の
眼科画廊の「今」の展示を見ているのか どうか ?]]>
ワンカッ
http://goso.exblog.jp/14221404/
2011-12-22T04:34:24+09:00
2011-12-22T04:34:25+09:00
2011-12-22T04:34:25+09:00
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S
22日 早稲田のあかね で朗読ってます。
といっても、あかねって、何>といまさら。
朗読しましょう。文学部前で。
12月22日(木)
あかね(早稲田大学文学部前)
夜七時から
住所:新宿区西早稲田2-1-17酒井ビル1F(地下鉄東西線下車徒歩3分)
電話番号:03-5292-1877
三冊の本を輪読する。
・詩の礫(和合亮一/徳間書店)
・青春と変態(会田誠/ABC出版)
・来るべき蜂起(不可視委員会/細流社)
持ち寄った詩を朗読する。
チャージ 200円
ドリンク150円から
— — — — — — — — — — — — — — — — — — — —
詩の読み手、朗読者、自由に参加してください。
特に予約等は必要ありません。
また、このように展開するといいのではないか?というアイデアがありましたら、
当日会場にて相談しましょう。]]>
ツキヲハコブからつぎをはこぶ
http://goso.exblog.jp/12466287/
2011-04-23T22:51:00+09:00
2011-04-23T23:07:55+09:00
2011-04-23T22:51:53+09:00
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月を運ぶ
3331で中村政人の東北の報告を拝聴し、彼が持っている映像感覚とコミュニティに対する当然の欲求を垣間見た。現場に立つということはそれだけで大きな力になるのだ。われわれは三時間あまり、座り続けて聞いていた。被災地の風景が、既に見慣れた光景になりつつあり、そのことが大変恐ろしい。無闇に被災地へ入るべきではないが、魂が呼ばれるのならばしかたがない。日比野克彦が提案するハートマークを縫いながらあらためて被災地を歩く鋭気を養おうと思う。関東の被害も甚大だがニュースで流れているように、東北の被害は想像を絶する。
ヌーマンなひとたちも3331へ行き、ハートをつなぎ合わせてほしい。俺は交渉して、次のデモのための何か身につけることができるものを探して、作り直すつもりだ。
7日のデモに着て行く服がない。
というヤワな理由で声を挙げらんないじゃ話にならんし、シランプリも出来ない。]]>
Uボートは 陰毛を 刈る
http://goso.exblog.jp/12326158/
2011-03-26T06:43:00+09:00
2012-11-23T12:55:04+09:00
2011-03-26T17:43:31+09:00
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月を運ぶ
■ 2011年3月25日(金)~30日(水) 12:00~20:00 (初日のみ18時開場 / 最終日~17:00)
* オープニングレセプション:2011年3月25日(金)18:00~20:00
■ 「Uボートは陰毛を刈る」
■ 貝塚歩 / 堅田好太郎 / 桐川典子 / 伏木庸平
なんとなく、まちわびていた気がする。
去年の夏ごろに、アイランド ラピュタで経験した途中経過の展示を横目で見ていたので、現代美術の範疇の「映像表現の可能性」を感じていたのだ。
感じていたから、待ちわびてしまった。
待ちわびて、会えたのだから、今は何も言うことはない。
東北関東大震災の影響で節電モードの新宿の街は、今回の展示のために照明を落として待っていてくれた。行き場を失ったニンゲンが行きかう街として、新宿は機能している。
新宿文化センターへ続く道は俺にとってはけもの道で、普段はあまり利用しない。
四半世紀前に、歌舞伎町でそばやと風俗の店にかかわっていた時代にも、あの道は遠慮がちに通っていた。なぜか?
そんな道の見落としがちな物件に、新宿眼科画廊はある。
オーナーの田中さんが、画廊を拡張しようとしていた頃に、トイレで何か、やらせてよ。
と俺はなかば無理やり、そして大きな確信を抱えて、頼み込んだのだ。
(確か彼女は歯の治療で、日々朦朧としていた)
トイレで何かやる。というのは明確な、マルセルデュシャンへの返礼である。
とにかく、「便器」に、彼の反芸術性がつくりあげた芸術性に対して、なんらかの返答の
意思表示をしたかったのだ。「模倣」を超えて。
あとから知ったことだが、そのトイレのしつらえというか、トイレの色合いは中崎 透によるものだった。
と誤解していた。後日本人から直接指摘された。
まぁ、それはそれで改めて考えるとして、
アムステルダムから戻ってきて、えいや!と
俺は作品を設置して、それは、新宿のトイレの丸い部分に反逆説的に、反反射的に輝いていると思う。
いつか、その鏡の真ん中にいる、中平卓馬さんも、この空間内の逆説性について言及してくれるはずだ。
待ちわびているうちに、街は待ちくだびれていて、まちぐずれてしまったかのかもしれない。
そんな街の中で、どう
間違えない待ち合わせをこれからしてゆけばいいのか ・・・ ?
〔展示概要〕
ここに集まる4人は、2010年5月から美学校の教程「倉重ゼミ/映像表現の可能性」
(講師:倉重迅[アーティスト]、阿部謙一[編集者])を受講する者たちです。
この約1年間、各人が制作と自他の作品分析の繰り返しを通して、
理論と実践の両面においてのレベルアップを図り、現代の美術の在り方を模索してきました。
本展は、その思考の痕跡と成果を外部に向けて発表し、
世界に対しての新しい認識の方法を呈示しようとするものです。
貝塚歩は、自分の内面世界を情動的な筆致によって曝け出し、
揺れ動く感情の断片を掬おうとしてます。堅田好太郎は、
身体性や変態性をテーマとした自身の創作行為を「他者とのセックス」だと捉え、
そこから外部との関係性を測ろうとします。桐川典子は、
過去の自分を弔う為の個人的な儀礼を演出します。
そうすることで現在の生を再認識すると同時に、
もしかしたら他にあったのかもしれない生との決別を行います。
伏木庸平は、よくわからない「遊び」に、観賞者を突然付き合わせる「いたずら」を仕向けることで、
「時差ぼけ」に似たような感覚を喚起しようとします。
私たちは、世界のほんの一端しか見ることができません。
見えない部分を見るためには、ものの本質や実体を覆い隠しているものを刈らなくてはなりません。
この展覧会が、自己の深海に沈潜するだけの潜水艦ではなく、
時に奇襲攻撃も仕掛けるということを証明できれば幸いです。
この展覧会は「接吻」である。「接吻」とは、三島由紀夫がごく若い時分に書いた掌編のタイトルだ。
登場するのは、若い詩人と彼が詩作の友とする鵞ペン、
そして絵描きの女性と彼女が用いる絵筆くらいで、この4つの関係性が、
どこか本展を構成する4人の作家を思わせる。
そもそもこの見立てが見当違いだと誹られてもかまわない。
それでもひとついえるのは、これらのモチーフはすべて芸術を生むものの謂であり、
ここに集った作家たちもまた、
それぞれの方法で表現を模索する生き方を選んだ「アーティスト」なのだということである。
なお、「接吻」はその結末において、詩も絵も完成を俟たない。
この展覧会には、それさえも象徴的だと思えるようなポテンシャルを秘めていると信じている。
阿部謙一(編集者)]]>
論理の方法
http://goso.exblog.jp/9161021/
2011-01-30T08:31:22+09:00
2011-01-30T08:31:21+09:00
2009-10-27T10:13:27+09:00
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S
最近、馬鹿になってゆく頭脳に「論理の手法」という小室直樹著の本をナナメ読みしているからかもしれない。それでも、崩れてゆく脳みそには「論理の手法」だけでは、どうも駄目で、そこで、スト研が必要になってくる。
スト研の会合で感じたことを路上の実感と照らし合わせながら、文化というものは、はがれたうろこの総体であるような気もするし、うろこごしに眺めた世界の交流であるような感じもする。力強いメッセージを発することができないのは、言語が元来、政治的に行動を規制するように作られた道具であるからかもしれない。それでも、まだ二日酔いから醒めない気分が付きまとうので、松岡正剛の「世界と日本の間違い」という本も開いている。読み込む。
そのような状況の中で、日本の政策を作り出す機関からの「NIKE公園化」への問題提起は、20代の発言であることを踏まえても、充分興味深い。
スト研の会合に半分もかかわれないのだが、それは立ち位置としても、こちらはストリートを研究する立場ではないし、路上に対する要望はあるけれど、それをコントロールするつもりは私にはないから、深夜、路上でたとえ酔っ払っていようとも、警官を投げ飛ばしたりするのだ。
景観を投げ飛ばすと誤記しておいてもいい。
五野井郁夫のいいところは、弱者に対する眼差しを捨て去らず、世界を立ち上げようとしているところだ。
政治と芸術は大昔から近くにあったのだが、五野井の言う、「都市がつまらなくなってゆくだろう」という意見の表出は、今の時代にこそ効力をもつ。
昨夜、とても気に入ったフレーズを彼の口から聞けた。
「この張り紙を張ることは、彼らの命を奪うことになる。お前ら死ね!と言っている。」
我々は何からメッセージを受け取り、何に従い、時には服従し、そして打破する準備を何時行おうとするのか?
単なるノスタルジックなものへの憧憬ではなく、「いちゃいちゃできる空間が必要だ」という、五野井の発言がとても新鮮に聞こえた。
これからの都市は、特に東京都心部の構造は人間の欲望に対して、今後どう答えていくのか、とても興味深い。
自分のことへ照らし返してみると、特に都市の風景から欲望を立ち上がらせることはなっかったように感じるが、考えてみれば、林立する建築群を眺め回して、男たちは勃起し社会はよりダイナミックに動き出すはずだったが、三上晴子が人類にとっての異物として指摘したように、タワーは彼女によって破壊され、男は機械以下の能率しかマークできず、出口を失った種の放出は着床する土壌を当然、失った。(展開が急すぎるが、それはこちらの都合なので・・・書きかけ)
それは今も続いている。
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わくわく 中盤編
http://goso.exblog.jp/12018538/
2011-01-30T06:45:00+09:00
2013-08-31T02:07:02+09:00
2011-01-30T06:45:13+09:00
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月を運ぶ
わくわくシブヤの展示手法が面白い。
遠藤一郎がどんどん声をかけていって参加者を募る。というやりかただ。
展示会場を見ると、一瞬気が引けるというか、萎えるというか、後ずさることもあるが、
( つまり、かかわりたくない という感じ )
この程度のことを冷静に体験していかないと、ちょっとこれから先の「現代美術」とはつきあっていけないのではないか?
東京都が主催するワンダーサイト構想も、長期的な視線に立つことが出来るのならば、有効である。
恩恵に与っている人もいるし、冷静に距離を保てる人もいる。
後者の方は、往々にして、制度や行政にある種の偏見を持ち続けていられる人だと思う。
そして前者は、なんというか、愚鈍な人々なのだろう・・・。
ワンダーサイトの立ち上がりから、(棺桶につっこむのとは違う感じで)片足を突っ込んだ感じがしていたので、
ワンダーサイトとは距離を保ち続けている。
その距離感が少しづつ、溶解してゆく。
そういう事が出来るのも、自分が「ビジュアル アーティスト」であるからだと納得する。
そして、だからこそ、もう一つ別の器官、耳によるオーラル・ヒストリーにも興味を持ち続けているのだ。
このPCによるキー入力の記述にも当然、興味を持ち続けている。
(携帯での入力は、指の皮が剥がれてゆくので、あまりしたくはないが・・・)
さて、ツィターで先に写真をアップしながら、エジプトの報道サイトを見比べて、その後、そのアップ先を完全に忘れてから、このエキサイト ブログを書き始める。
★★★ わくわく しぶや ★★★
オーストラリアから来日しているBELLとDR....の中島と打ち合わせをするために、わくわくシブヤへ行った。
28日(金)。
俺の自転車返せ!!!
(書きかけ・・・
写真は、会田 寅次郎の力作。
螺旋階段の円柱に3DCG!というだけで、俺はもう完敗。
コンセプチャル抜群。昨今のへたれコンセプチャルアーティストは泣くに泣くだろう・・・。
なんというか、そらおそろいしい、10才の能力を感じている。]]>
アウト オブ エナミー
http://goso.exblog.jp/11969144/
2011-01-22T11:30:00+09:00
2011-01-23T03:22:46+09:00
2011-01-22T11:30:38+09:00
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月を運ぶ
奈良での仕事が評価されての、今回の展示らしいが、擬態がもっている、本来の擬態力を展示の風情に見出しながら、日本各地で相当面白い現象が起きているのだ。ということを実感して、二次会。
酒を飲みながら、今日の問題点を吐露するオーナーの風情が良かった。
300日画廊のことを話し始めるつもりは今の自分にはないが、アムスでの展示を終えた後、 (あれはあれで、ほんとうに大変だった・・・ ) 模索舎で行った、今思うととても奇妙なイベントに佐藤が来てくれて、いろいろと相談を持ちかけられたとこらへんを、おいおい問題を掘り下げつつ、書き足していこうと思う。「本屋をやりたい・・・」と言い出した、その時の佐藤の表情からは、ああ。なるほど、そういえばこの男は、イリュージョンを愛読書に挙げていたな。ということを思い出した。模索社のイベントは「フライヤー・チラシを、アジビラを朗読する」という東方力丸の魅力を全面に押し出したイベントであったが、参加者のノリも良く、その会を司ってくれたぺぺ長谷川にも感謝しつつ、なかなか素直に追悼できない状態を回避するでもなく、いったい、アートをどうのこうのするとは、いったいどういうことなのか?
ということも、たまには考えていきたい。
]]>
枝川
http://goso.exblog.jp/11821683/
2011-01-01T10:33:00+09:00
2011-01-01T12:31:51+09:00
2011-01-01T10:33:47+09:00
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P
この一枚の写真に触発されて、今回は動いたのだ。
YAKINIKU
アーティスト アクションの4日間のために
箇条書きで記してゆくことなど、阿呆者のすることだが、今回はあえて箇条書きで記した後に、文章を後ほど書き連ねてゆくことにする。
・美学校の藤川公三さんが見に来てくれたことが、嬉しい。
・杖をつきながらもその日までのすべての閲覧可能な展示物を丁寧に見てくれた木幡和枝さんの存在感と、彼女からのアドバイスの適切さが身に染みた。
・校外の竹本作品の「トビオちゃん」をひとつも見つけられなかった悔しさ。
・貝塚 歩の作品、扉に絵を描く。ということ。
・黒田将行の作品、刺のある外来種の枝を廊下に白く塗り、吊り下げる。ということ。
・緒方佳太の作品、校舎側から町を眺める。ということ。
・中原中也の「千の天使がバスケット ボールをする」という詩がリアライズされている。普段の校庭の景色。
・私はトイレの鏡だけでいいや、と思ったが、壁面に、関根正幸、クッ スーヨン、酒井隆史の作品を提出、提案できたことの喜びと苦悩。
・私のドネーションの作品のあし(脚・葦)の長さが高くなったこと。
・ 新校舎と旧校舎の対比が今の気分にしっくりとくるのは、新校舎の塗料、接着剤のきつい匂いと旧校舎が時間をかけて中和してきたある種の匂いが共存しているからか?
・あの校庭で体育をしてゆくのは子供たちの足を悪くするのではないか?
・毛原大樹がラジオ・パフォーマンスをやってくれて、私の一階の女子トイレの作品がきちんと割れたことの驚き。
・作品に使用した4枚の鏡は保管されている(割れた鏡も含めて)。
・父の三回忌がいい形で執り行われた。
・最終日の大七輪焼肉宴会の絶景。(素晴らしい)。
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アーティスト アクション
http://goso.exblog.jp/11636157/
2010-11-30T01:54:00+09:00
2010-12-16T07:37:44+09:00
2010-11-30T01:54:48+09:00
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月を運ぶ
Artist Action
東京の湾岸地区にある枝川 東京朝鮮第ニ初級学校の旧校舎にて行われる展覧会に参加します。
ぼくは展示案をふたつ出していて、(実はみっつ)
ひとつは、校舎に残された鏡の裏側を・・・
ふたつめに、映像を投影・・・
みっつめには、アルミ缶でドレスを・・・
このふたつめにあげたプロジェクションに対する映像作品を公募します。
スクリーンの代わりになるものは床から積み上げられ、重ねられた透明体のコップやボトル。
それが投影用のスクリーンだ。
裏と表 両面から 投影される。
われわれは何を目撃してゆくのか?
以上の詩的かつ史的なスクリーンに対して、賛同して、映像を提供できる方は
onecup7rin★live.jp ★を@に変えてくださいね。
まで、データ、もしくは映像のリンクアドレスを送信してください。
コメント、キャプション等も添付してくれるとありがたい。
実際の投影現場は枝川第ニ 東京朝鮮初等学校になります。
2010年 12月26日から29日。
10時から16時。
裵昭(写真家)・夫学柱(建築家)・徳本直子(建築家)・豊田直巳(写真家)・富永剛総(写真家)・田中大介(作家)・白滝章裕(建築家)・羽月雅人(異文化コミュニケーター)・津田宗明(作曲家)・亀井庸州(ヴァイオリン)・張大赫(ヴァイオリン)・重松征爾(ヴィオラ)・任キョンア(チェロ)・川上統(作曲家)・HYANGHA(歌手)・イ=ジサン(歌手)・高嶺羽(チャンセナプ)・木幡和枝(アートプロデューサー)・潘逸舟(アーティスト)・アライ=ヒロユキ(批評家)・万城目純(パフォーマー)・金哲基(デザイナー)・松永康(アートプロデューサー)・仲野誠(鳥取大学地域学部)・盧琴順(写真家)・森下泰輔(現代美術家)・菅間圭子(アーティスト、パフォーマー)・三友周太(アーティスト)・石川雷太(アーティスト)・地場賢太郎(アーティスト)・福島有伸(写真家)・土佐陽子(写真愛好家)・近藤剛(ディレクター)・今井紀彰(写真家)・高元秀(アーティスト)・趙博(歌手)・金ミネ(ソーシャルデザイナー)・白承昊(アーティスト)・タムラタクミ(アーティスト)・金順玉(アーティスト)・林聖姫(アーティスト)・井上玲(アーティスト)・黒田オサム(パフォーマー)・尾形充洸(映画プロデューサー)・平岡ふみを(アートウォッチャー)・村井啓乗(アーティスト)・野中章弘(ジャーナリスト)・福島佳奈(アーティスト)・土志田ミツオ(アーティスト)・李相元(朝青中央江東支部)・李相慶(中央江東青商会)・辻耕(アーティスト)・李英心(アーティスト)・安海龍(映像作家)・朴英二(映画監督)・崔誠圭(アーティスト)
---順不同]]>
枝川
http://goso.exblog.jp/11604880/
2010-11-23T04:25:00+09:00
2010-12-02T22:19:48+09:00
2010-11-23T04:25:50+09:00
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P
話は変わるが。
今回、朝鮮学校で美術の先生を続けておられる崔誠圭から「何かかかわれないか?巻き込めないか?」とのメールが来たので、その文中の一行、極上の七輪焼肉というフレーズにひっかかって、今さらながら「ドキドキ」している。ドキドキするのは、また、展示をするということなので、これは心臓が飛び出して、廊下に転がっているのに、まだドキドキして、そのドキドキがまだ、トキドキ、ドクトクなリズムを刻んでしまうので、「やる」という方向へ走っているということに近い。
うん。近い。
12月26~29日
朝鮮第ニ初等学校 解体予定の校舎
江東区 枝川
富永剛総 参加予定作品
まるかがみ :
ワンカップ ウォール :
注 このワンカップ ウォールは透明なガラスでできたスクリーンに優れたドキュメント映像、実験映像等を両面から投影するものである。
それはしばしの映像祭の相をもつ。映像はデータで送られるのが望ましい。
onecup7rinアットlive.jpへキャプション等とともに
送信をお願いします。
ぼくのほうの提示作品は以上だが、期間中、展示をドキュメントしてゆくことにも関心を持ち始めたので、その分の体力も温存したい。そして、まだまだ、参加してくれる各国のアーティストを募集しているとのこと。
賛同者(順不同)
- ペ・ソ(在日、写真家)
- バク・ヨンイ(在日、映画監督)
- ブ・ハクジュ(在日、建築家)
- トヨタ(豊田?)(日本、ドキュメンタリー写真家)
-辻耕(アーチスト)枝川裁判の時から関わるアーチスト。新校舎の「希望の壁」デザイン担当
-富永 剛総(写真家)
-田中大介(アーチスト)
-白滝章裕(建築家)
-羽月雅人(横浜を中心に活動する異文化コミュニケーター)
-任キョンア(音楽家)を含め賛同した演奏家4人の楽団
-
ヒャンハ (歌手)
ヒャンハのプロデューサーが枝川コミュニティーラジオ放送をしてるらしいです。宣伝できます。
-イ・ジサン(歌手)在日詩人ホ・ナンギの詩「子供たちよ、これが私たちの学校だ」に曲をつけて歌った韓国の歌手
-木幡和枝 東京芸大 先端芸術表現科 教授
-アライ-ヒロユキ 美術・文化社会批評
-万城目純 パフォーマー 映像作家
-金哲基 デザイナー
-松永 康 NPO法人コンテンポラリーアートジャパン理事、埼玉「創発」プロジェクト
-仲野誠 鳥取大学 地域学部地域政策学科准教授 鳥取県在日外国人教育研究会
上の名前はメールとしてしっかりチェックできたお名前です。
その他賛同、参加する方々がおりましたら名前を送ってください。
gyuアットmse.biglobe.ne.jp
今のところ臨時の事務局という形で以下の人たちが動くことになってます。
-アン・ヘリョン(韓国、映像作家)
-朴英二(映画監督)
-崔誠圭(アーチスト)
-ソン・ヒョンジン(第二学校 前校長)
-辻耕(上記)
★★★ ★★★
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コミュニティの
http://goso.exblog.jp/11550323/
2010-11-11T02:40:00+09:00
2010-11-11T13:45:35+09:00
2010-11-11T02:40:27+09:00
docore
S
自分の作品の「1992-1993-1994」から編集長に選んでもらって、年月を指定したメールを受け取るようにした。この年月は正確な撮影年月ではもちろんなくて、今まで撮影した写真からランダムとはいえない、ある種の主観から日付欄へ写真は貼ってある。未来の手帳なのだから、現在に生きる俺には当然ことである。
データとして半分整ったので、明日にでも送信することにする。
12月発売予定。「未来回路 2.0」
そして、無理がなければ、明日精興社へ寄って、印刷があがっている「宮下公園」を金銭と交換で受け取り、新宿IRAの木曜ヌーマンで和綴じ製本にとりかかる 予定。
本を縫いたい人、「きてね!」
「宮下公園」は800円で売らないと、割りに合わない。その哀しみと可笑しみともども、ひっくるめての
21世紀だ。
いいねぇ。
この「きてね」という言葉。
来てね。と着てね。そして転ぶと汚ねぇ。になる危うさ。
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