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5月3日は
○15:00- プラカード作り、楽器練習、オープンマイク
○17:30 集合 17:45 デモ出発 19:00 到着(予定)
【コース】宮下公園~明治通り~表参道~「五輪橋」渡る~「岸記念体育館」右
折~渋谷区役所前~公園通り~井の頭通り~宇田川町交番左折~東急文化村通り
~渋谷スクランブル交差点~宮益坂下~明治通り~宮下公園

「アフターパーティー」

5/3

さて、デモ。
プレカリアートという言葉に反応しなければならない自分と、この世に情け無さを感じるが、人間の想像力は、それを補って有り余る(ここに大きく展開する言葉を模索する)  がある。

このデモコースが優秀なのは、東京の成り立ちが歴史的にわかりやすく伝わってくることだ。何も、運動史のことではなく、極、自然な成り立ちの人の営みとしての都市の歴史。
ぼくは46歳だが、このブログを読んでくれている方々も、高齢の人が多く、こちらの異常な語句への想像の連鎖、実験的な心持を汲んで、いくつか、お話がてらのメールをいただくことがあるが、文脈を分断することの幼児的な喜びと途中で、急に個人宛の内容に変わりつつある文章の中で、いくつか模索していることがある。
言葉がひとつの風景を立ち上げてくるならば、その風景を切り取ることもできるのだろう。

デモコースのことを考えなおそうと思って、横道にそれてしまった。

ふだん、人々は歩道を歩くが、もうすこし、道の真ん中を歩いてみたいものだ。と誰しもが思うと思うのだが、
たいがい、道の真ん中は車道だ。車道はシャドウだ。といい続けて、車社会を切り捨てようと、目論んでいるけれど、やはり、運転は人間の欲望の大きなものとしてあるのだろう。

いぜん、車はなくならない。

ふと、オランダの自転車社会のことと、仙台の道の真ん中を人が歩ける社会のことが「風景」として浮かび上がってきた。たぶん、日本のほかの土地にも「道の真ん中を歩ける 地域」」というものがあるのだろうが、この車社会では「みちのまんなかを あるくな」という風習で生きていかざるを得ないので、人間は矮小になってゆく。

大道りを大手を振って歩かせない、この社会。
それこそが、風景が生み出した現代の病理だと思う。
今回のデモでも、車線の左側をなでるように歩けるだけで、「まんなか」を歩けるわけではない。
道交法に引っかかるのだが、真夜中、真ん中を歩いたりはするが、そうしたときの、「都市の風景」の変わりようは、とても興味深い。

都市において、「ひとをまんなかにもってくる」という技法は大前提だったような気もするが、いくつか、今後、
都市のアイデアとして、主幹線道路の上を歩ける都市改造を提案してゆこうと思う。

いつごろから、ぼくらは、ある見えないルールに飼いならされてしまったのか。
見えないルールなんて、何も言っていないようなことを書き記すことに「絶望」を感じる。

糸の色とは?
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by docore | 2009-05-03 06:30 | S
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