川俣 正の「通路」展に関して書いてゆきます。
いや。うちのかみさんに釘を刺されて、「ファンになっちゃだめよ」と。 あまりにも神妙な面持ちで深川のほうへ出かけるから、そのように心配したのだと思うけれど、やっぱり川俣正は格好よかったので、サインをパスポートにしてもらってしまった。 あまり今後のことをいろいろと詳しくは聞かなかったけれど、4月14日までの東京都現代美術館での展示は、通行人自身が試される展示であった。 鑑賞するということ。鑑賞する時の態度。ということを考えながら、桟敷席から最終日のカフェ・トークを聞き眺めていると、反対側の桟敷席に芹沢さんの姿が見えたので、隣にいた男のデジタルカメラを借りて、写してみた。 隣の男。サバイバル・ラボで狩猟・採集を商標化しようともくろんでいる男。実際のところ、それで流れているところもあるのだけれど、それで成り立ちきるか、というとそれはそれで、夢見がちな疑問も生まれるが、いつかでかい御殿に住んでいたりして。 リコーのGRデジタルだったのも因縁めいているが、カメラはあるのだけれど、フィルムがないという自分の背中の状態で、特に、今日は撮らないと決めた日にかぎって、撮っとけばいいのに。 と思わせる、鼻水混じりの春の日々。 4月13日 現代美術館---美学校---八千苑 はっとり半蔵、大活躍の日だった。 そうだなぁ。八千苑で見た風景だけでも、小説を書きたくなってきた。 美学校で受けた身体感覚だけでも、彫刻を作りたくなってきた。 現代美術館で吸った空気分ぐらいは人間関係を美しくしてゆきたいと反省した。 横浜からの御大、羽月さんと黒田さんをつれて、美学校まで顔を出した。途中、美学校の歴史を語り続けてくれた黒田オサムさんの確かな記憶力と柔らかくタフな身体感覚に敬意を表しながらも、御大の歩調に合わせつつ速度を上げてゆくことの難しさに気持ちの中で地団駄を踏みながら夜の神保町で、祝い酒なんか飲むから、案の定、道を踏みまちがえて、でも、大道りひとつくらいの道の間違いなら、それはそれで許されるんじゃないかな。とも思った。 いや、別に、歩いているだけなんだから。 記憶図書館のようなことをするつもりも、振りうつしをするつもりもないが、歩いているだけなら問題がないけど、立ち止まり、楽しそうにし始めると問題は起こっていくのだ。 まだまだ、そんな21世紀ですね。
by docore
| 2008-04-14 18:16
| 月を運ぶ
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