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二重
吉増剛造と森山大道

「縦も横も なくなる」
二人のそれぞれの映像作品の上映を挟んだ対談は森山の、この台詞で結ばれた。

40年ほど前。岡田隆彦の自宅が「三田詩人」と「プロボーグ」の同人の溜まり場になっていた。高級官僚の息子である岡田を、機械音痴だからカメラもいじれない。と吉増は野次る。ぼくの頭のなかで三田からの眺めの東京タワーが夕日を浴びて建つ姿が思い浮かぶ。
当時の空気までは憶えていないという森山は、それでも皆が集った家の景色は憶えているという。
吉増は当時のことを回想して、PROVOKEに入れてもらいたかったんだけれど、入れてもらえなかった。荒木経惟もそうだった。と悔しがる。
吉増は森山の写真行為を指し、プロボーク以降、作品を提出しつづけてきたのは森山だけだ。と断言する。対話中に聴衆へ向かって森山の発行された写真集を高く掲げて絶賛する姿勢は何か迫りくるものがあった。政治や文化、芸術などを越えた世界を渡り歩いてきた、そして季節によっては蟄居するように密かに篭もることもあった二人の作品を介在させた行為は「まだ、壊すつもりがある」というメッセージも込められていたように感じる。
サンパウロという剥き出しの都市を主題において対話をしたいと吉増は言う。
自閉症の吉増はサンパウロ大学にいた間、滅多なことでは外出をせず、どこかへ行くにしても運転手つきの車で出かけて行った。
まだ、ゴミ収集は馬車を使っていたサンパウロの街の雰囲気が霞の向こうからたち立ち上がってくる。
ストリートチルドレンがいる景色。路上生活者がご飯を炊くための焚き火。そして娼婦の立ち姿。
それらを吉増は見たが、言葉にできない感情は写真に置き換えることも難しく、なぜ森山のように、柔かい眼を都市の中にぶん投げることができないのか?と苦悶する。

写真のことに近づきつつ、そして意識的に離れていく。
言葉を扱う、特に詩人の存在領域に大きな神性を見出している吉増は、あらためて、捨てられているものの美しさを問いかける。

流してゆく。
流す。
という言葉をあらたに掘り起こした。

そして、写真を撮る姿勢は、体を傾げ、何か変形した、祈りの姿勢に近い。
次にやってくるものを捉えようとする。と、身体性に話が移ったとき、
吉増の口から発せられた言語は僕の中で何かとり憑いていたものを溶解させ、僕自身も静かな気持ちになれた。


40年ほど前。
また、その季節だ。
ぼくは7つ。
もう、ひとりでも、どこへでも出かけられる年だ。
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by docore | 2010-07-25 20:05 | 月を運ぶ
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