English Here
ラプソディとは・・・
素人の乱12号店。

思い返せば、「この窓を外してくれ」と言われて、窓外の景色をみんなで観たのが、二年前だったか、三年前だったか?YOYOにそう言われて、窓を外してみたはいいけれど、折れた左鎖骨は、ますます複雑に接合されたことだろう。まったく、切羽詰っている自由な人々は無闇に無茶なことを言い出す。

退屈だったし、鎮魂と供養のために充分な時間も必要だったので、ぼくは窓を外し、階段を降りて行った。
その階段をへろへろとふたたび上がるとは思わなかった。
「粉川哲夫と藤井 光の対談。ビフォを巡って」を聞きに行ったのだ。
a0008164_8475868.jpg


3時間は遅れただろうか。
すでに、モノグラム的に対話がなされているような気がするが、フランコ・ベラルディのことをアントニオ・ネグリを知らないのと同じぐらいに知らないのとは重量的に意味が違う景色の中で、ここから先へ向かうことの困難さを感じた。まず、ひとつには、自律的に何かを形成するということが社会集団にとってはその集団の形成過程においていくつもの語義矛盾を孕んでゆく。
その矛盾を解消もしくは無視できるのが、アートもしくは芸能の領域だと思うが、昨夜気づいたことは、すでに空間というものも矛盾を内包しているのではないか?と思い始めた。

言葉を選ばなくても良ければ、空間がすでに作品化している。と言っておこう。
それは間違っている。
空間の中での態度がすでに作品化されている。

こういうことができているのも、藤井 光と粉川 哲夫の真摯的でかつ、余白を残し始めた交流のありかたに起因する。美術家であることをやめようとはしない藤井と身体性を失わずにラジオ少年でありつづける粉川の対流を観察するためにも、この高円寺の忘れ去られつつあった部屋に人々は集まったのだ。
これをたんなる「モサク イベント」と捉えていてはいけない。
40周年だとは知らなかった。

ビフォとトニの関係にイルとイラ、または神長とぺぺとか、ドールズ・ガタリを重ねあわせたりしながら、高円寺の夜は耽けようともせず、しっとりとしみてゆくのだ。
[PR]
by docore | 2010-03-15 09:11 | S
<< 脱出の手法 いま いるところ >>



ワンカップフォトス onecup photos 
by docore
カテゴリ
全体
月を運ぶ
ワークショップ
P
E
T
OCR
S
D
O
未分類
フォロー中のブログ
Report 藤浩志企画制作室
ウラゲツ☆ブログ
音楽家 高橋英明
ホームレス文化
イノレコモンズのふた。
  
art blog VOI...
cafe_mearium
NPO法人 BEPPU ...
Edición iman...
246表現者会議
ラディウム - レントゲ...
中崎透遊戯室/NAKAZ...
MAKII MASARU...
アート天国 「虎の巻」2...
路地と人
最新の記事
終夜
at 2014-01-17 02:53
大原大次郎
at 2013-07-28 03:28
芸公の壁
at 2013-01-25 06:25
TAT
at 2012-11-01 06:22
アフター ’(アウターもしく..
at 2012-03-21 01:23
R
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧